OCEANS

SHARE

「僕の家族や親戚は、固い職業の人が多いんです。だから、遊んでばかりいる自分を心配して、父は安定した仕事に就かせようとしたのでしょうね。
本当は嫌だったのですが、おばあちゃんに『試験だけでも受けて』と頼まれて、断れずに受けたら合格してしまって。次は『嫌だったら辞めていいから』と言われて、仕方なく警察に入ったわけです(苦笑)」。
警察官になって大きな使命感を感じていた関根さん(写真:関根さん提供)
だが地元・静岡に戻って警察官になると、地域の子どもやお年寄りを守りたい、という使命感がわいてきた。このころはすでに体が大きく、迫力も十分だった。街中で喧嘩が起き、通報を受けて駆け付けると、荒ぶっていた人もたちまちおとなしくなったという。
その後、機動隊を経て刑事課へ。暴力団関連の事案を担当する、いわゆるマル暴に配属された。相手が暴力団員でも、関根さんは一目置かれる存在だった。ある被疑者は、取り調べ担当が関根さんだと知ると、「あの怖い人か……」と肩を落としていたという。一方で、その人柄がスムーズな犯人逮捕につながったこともある。
指名手配中の暴力団員の男が、とある場所に潜伏しているとの情報が入った。そこへ関根さんや刑事たちが突入した。男は刃物を所持しており、警察官が来たら刺そうと構えていたが、関根さんの姿を見た瞬間に観念したという。
表彰を受けるほど警察官として順調にキャリアを積んでいた(写真:関根さん提供)
「僕が前に留置場の看守をしていたとき、当時14歳だった彼が入ってきたんです。さみしそうな顔をしているなと思って、夜どおし話を聞いて。後に彼は暴力団員になったのですが、そんな経緯があったから、僕を見て『関根さんに迷惑をかけられない』と抵抗を諦めたそうです。『暴れても関根さんには絶対勝てないから』とも言っていたけど(笑)」。
まさにシュレックのように、強さも優しさも兼ね備えていることがうかがえるエピソードである。

感銘を受けたブラジル人の自由な感覚

刑事として順調にキャリアを築いていた関根さんに、転機が訪れた。それが、外国人犯罪の事案を手がける国際捜査課への異動だった。当時、関根さんが勤務していた浜松では、ブラジル人による犯罪が頻発していた。そこで、ブラジル人に関する情報収集を目的に、ブラジリアン柔術の道場に入門した。
ここでも関根さんの才能が開花する。柔術を始めてわずか4カ月にして、アジア大会で優勝。その後も数々の大会を制するなど、たちまちトップ柔術家に上り詰めた。一方で、道場のブラジル人たちとの仲も深まっていった。とにかく自由なブラジル人の感覚に、最初は振り回されることが多かったが、徐々に感銘を受けるようになる。


3/4

次の記事を読み込んでいます。