バッテリー上がりも頻繁
1960年代は初期と後期では自動車の性能に雲泥の差があった。初期の自動車はバッテリー上がりも頻繁に起き、セルモーターでのスタートができなくなることがよくあった。
そんな時はクランクでエンジンを目覚めさせる。その頃の自動車はほとんどが縦置きのエンジンマウントであったので、フロントのメッキバンパーのあたりに穴があり、そこに鉄製のクランク棒を差し込みエンジン本体のクランクを直接手で回してかけることができた。
ピストンの上死点を探り当てて体重を乗せて一気にクランク棒を下ろす。バイクのキックスタートと同じ方法だが、一発でエンジンが掛からなければこの動作を何度も繰り返さなければならない。運転席ではアクセルに足を置き、動き始めたエンジンを微妙に煽りながらアイドリングが安定するまで神にも祈るような気持ちで作業を繰り返す。
それでもダメならドライバー1人を残し、全員で車を押してスピードが乗った時点でクラッチをつなげる。いわゆる「押しがけ」だ。緩い下り勾配や自重の軽い自動車には有効なスタート方法だった。
ダットサンは故障も少なく当時のサーファー御用達
こんな車事情だったが、波を求めるのが僕らの目的。自動車は動けば十分で、色やスタイリングは二の次であった。実際にはチョイスするほどの車種もなかった。
まだ独自の開発ができなかった日本の自動車メーカーがヒルマンやオースチン、ルノーをライセンス生産していたが、その中でダットサンは故障も少なく当時のサーファー御用達だった。フォルクスワーゲン・バスはまだこの頃は目にすることがなかった。
出川三千男=文・写真提供
記事提供=FINEPLAY