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ダイムラーが同じく1886年に開発した世界最初の4輪ガソリン車。後ろがゴットリーブ・ダイムラーで、運転しているのは彼の息子。
大衆車から、世界のVIPが愛用するラグジュアリーカーまで開発する傍ら、1939年には世界に先駆けて車の「安全性」を研究する専用施設も設け、現在に至る同社の安全思想の基礎を築いた。
第二次世界大戦後も、石原裕次郎が所有したことでも有名な300SLも含むSLクラスや、現在のEクラスの祖となるミディアムクラス、Cクラスの祖である190シリーズなど次々とヒット車や名車、画期的な技術を生み出し、車種バリエーションを増やしていく。
レースカーとして開発された300SLの、市販バージョンである300SL クーペ。ガルウイング(カモメの羽)が大きな特徴だ。
モータースポーツに対しては「ベンツ&カンパニー」「ダイムラー・モトーレン」の頃から積極的で、ベンツやダイムラーの知名度を高めたのは、数多のレースでの活躍だった。
1894年に開催された世界初の自動車レースではダイムラーのエンジンを載せたレースカーが勝利を収めている。現在もF1に参戦しており、特に2014年から5年連続で年間王者に輝いていた。
 

取るべき選択は「最善か無か」

同社の祖のひとり、ゴットリーブ・ダイムラーが遺した言葉に「Das Beste oder nichts(最善か無か)」がある。技術者である彼が、妥協を排して完璧を目指す強い意思を表した言葉だが、今や同社に関わる従業員一人ひとりの判断や行動の指針となっているという。
W124と呼ばれたモデル(1985年〜1995年)を例に取って説明すると、例えばドアミラーの大きさが左右で異なっている。
ミディアムクラス(後にEクラスと呼称が変更)として登場したW124。写真を見ると分かるように、左右でミラーの大きさが異なる。
同じカタチにしたほうがコストを抑えられるのだが、運転席側は横に広く、助手席側は縦に広いほうが運転の際に視野を最適化できるからというのが当時の判断だ。また、リアのコンビネーションランプも敢えて表面に凹凸をつけて、たとえ走行中に汚れても凹の部分には泥がつきにくいから後続車が車を認識しやすいなどなど……。
こうした分かりやすい例以外にも、数多の「妥協なき追求」を続けてきたのが、現在のメルセデス・ベンツなのだ。


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