2020.09.20
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開発と辞表提出、どっちが先? Gショック生みの親に聞く誕生秘話

1983年、カシオ計算機から発売された「Gショック(G-SHOCK)」は、年齢、性別、国籍問わず、世界中で愛されている腕時計だ。

それまで精密機器である時計は「壊れることが当たり前」だったが、Gショックの誕生を境に、その価値観は一新された。

Gショックの初号機、DW-5000C。ダイヤルの下部分に「PROJECT TEAM Tough」とあるのは、当時、開発に携わったメンバーだけに配布されたもの。

ところで、落下強度10m、防水性能10気圧、電池寿命10年の「トリプル10」を当初の開発コンセプトとしたこのタフネスの象徴は、たった「1行の企画書」から始まったことをご存知だろうか。

Gショックの生みの親、伊部菊雄さんにインタビュー。その開発秘話についてうかがった。

カシオが誇る技術者、伊部菊雄さん。彼は、言わずと知れたGショックの生みの親である。

誰もが知る「壊れない時計」というコンセプトは、伊部さんが高校入学時に父親からプレゼントしてもらった腕時計が、ひょんなきっかけで壊れてしまったことにより発案された。伊部さんはこう振り返る。

「会社で人とぶつかったときに時計が腕から外れてしまい、文字盤どころか、すべての部品がバラバラに飛び散ってしまいました。もちろんショックでしたが、それ以上に『精密機器である腕時計は、落としたら壊れる』という常識を目の当たりにしたことに感動したんです」。

Gショックの開発秘話は驚きの連続だった。

「この実体験をもとに、“落としても壊れない丈夫な時計”というコンセプトが生まれ、企画書にそれだけを書いて会社に提出しました」。

この企画書は奇跡的に通過した。しかし、このときの伊部さんは、その先に待ち構える苦労など知る由もなかった。

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最初のGショックはソフトボールサイズ

テーマだけを書いて提出した、伊部さん作成の企画書。

開発者は企画にあたって、基礎実験をしなければならない。しかし、伊部さんはこの大事な工程をスキップしてしまった。当時、伊部さんは構造案も開発スケジュールも白紙の企画書が通るとは思っておらず、どのような実験が必要かは一切考えていなかったという。

80年代前半の腕時計は、いかに薄く、小さくしていくかという方向性で開発が進められていた。しかし、Gショックはそれに逆行するコンセプト案であったため、目立たないところで実験したいと思ったそうだ。

伊部さんが拠点としていた開発室は、技術センタービルの3階にあった。そこで、“落としても壊れない”を実証検証していくため、同じ階のトイレの窓(高さ10m)から、時計を落とすことにした。

カシオの技術センタービル。この中央の窓から時計を落として、耐久実証検証は繰り返された。

「最初は、腕時計の核となる部分の四方をガードすれば大丈夫だろうと思っていたのですが、その考えは甘いなんてものではなかったですね(笑)。何度やっても壊れてしまうので、ウレタンのゴムを何重にも巻きつけていき、最終的にはソフトボールよりも大きな球体が完成してしまいます。それを見て、これはひと筋縄ではいかないなと頭を悩ませました」。

徐々に頑丈にしていったら、最終的にはいちばん右のサイズまで大きくなってしまった。

「これが最初の基礎実験ですが、もし企画書提出前にこの実験を行っていたら、私は絶対に企画書を提出していなかったと断言できます」。

 

辞職覚悟で臨んだ最後の一週間

壊れない時計には、まったく新しい構造が必要だった。そして、伊部さんは、幾度となく試行錯誤を繰り返した結果、「5段階衝撃吸収構造」という構造に辿り着く。

モジュールを守るために考えられた「5段階衝撃吸収構造」。これらのパーツを……
組み合わせると、こうなる。

これにより、一時はソフトボール大まで膨れ上がったGショックの試作品を、現在の大きさまで劇的にサイズダウンすることに成功。しかし、あと一歩のところで、挫折間際にまで追い込まれてしまう。

「5段階衝撃吸収構造は、画期的な構造でした。しかし、どのような調整をしても、部品がどれか一個だけは必ず壊れてしまうんです。液晶を強化するとコイルが切れる、コイルを強化すると水晶が割れる。これがエンドレスに続き、もぐらたたき状態でしたね」。

もぐら叩き状態脱却のため、とことん考えた。

しかし、半年近くが経過しても、一向に解決策は見出せず。そして、伊部さんは遂に、諦めを覚悟するまでに追い込まれてしまった。

「半年考えても解決の糸口が掴めなかったので、最後に24時間考える作業を1週間継続してもダメだったら、諦めることにしました。藁にもすがる思いで、睡眠中も考えようと枕元に実験パレットを置くという古典的なこともやりました。ただ、その1週間で夢は一度も見ませんでした(笑)」。

「金曜日の晩には、解決策ではなく、辞表の内容を考えていました。上司に『基礎実験をやっていない企画なので、できませんでした』と今さら言い出すことはとてもできず、ケジメをつけなければならないという一心でしたね」。

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限界ギリギリでの閃き。キッカケは……

そして、伊部さんは当週の日曜日に、自身が設定した期限の最後の日を迎える。

この日、伊部さんは休日出社をしていたが、これが事態を一気に好転させた。

「社食がやっていなかったので、外にランチに行きました。会社に戻りたくないと思って、公園のベンチに座っていると、目の前で女の子がマリをして遊んでいました。その光景を見て、ピカッと頭のなかで裸電球が光ったのです」。

社食がやってなくて良かった瞬間。

「彼女が突くボールの中に、腕時計のエンジンが浮いているように見えました。5段階衝撃吸収構造では、どうしても衝撃が緩和しきれない。でも、コアが浮いているような状態を作り出すことができたらと、点で支える構造が閃きました」。

熟考すること半年。あと数時間で辞表提出から一転、伊部さんはようやくコンセプトを実現する構造にたどり着いた。

「今でも不思議なのですが、戻って実験すればいいのに、なぜか日曜日はルンルン気分で帰宅してまったんですよ(笑)。でも、裏を返せば、それだけ確信があったのだと思います」。

カシオの社是「創造貢献」

こうして、伊部さんの辞表は出す必要がなくなり、Gショックの初号機DW-5000Cは、1983年にリリースの時を迎えた。

当初は会社の目の前で道路工事をしている作業員に着けてもらおうくらいの気持ちだったそうだが、Gショックをアイスホッケーのパック代わりにした伝説のCMと、巨大トラックに踏ませるという実証実験番組をきっかけに、Gショックはアメリカで一躍注目を浴び、その後、ストリートファッションの隆盛とともに絶大な人気を獲得していくこととなる。

Gショックをホッケーのパックにしても壊れないことを表現した伝説のCM。伊部さんによれば「放送されていることは知らなかったんですよ。知ってたら止めてました(笑)」。

カシオでは、あとにも先にもないという、たった1行の企画書。Gショックは、数々の偶然と奇跡、そして伊部さんの飽くなき努力が積み重なった正真正銘のエポックメイキングだ。

「創造貢献。これは『世の中にないものを作ろう』というカシオの社是です。会社の風土があったからこそ、1行の企画書にもGOサインを出してくれたのだと思っています。私も1行の企画書だったからこそ、諦めずに頑張れたのかもしれません」。

 

市川明治=取材・文

# カシオ# G-SHOCK# Gショック# 時計
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