37.5歳の人生スナップ Vol.148
2021.05.15
LIFE STYLE

思いつきで金融アナリストから転身。脱サラした29歳の大胆な計画とは?

「37.5歳の人生スナップ」とは…… 

2021年1月末から全国のセブン-イレブンで順次発売されたカカオドリンク「シトラスカカオ」と「トロピカルカカオ」が、チョコレート好きの間でにわかに話題になっていた。手掛けたのは、京都のビーントゥバー専門店「Dari K(ダリケー)」。

ビーントゥバー(Bean to Bar)とは、カカオ豆の仕入れ、焙煎・粉砕から、チョコレートになるまでのすべての工程をひとつの工房で行うことで、要するに、素材から丁寧に作られた、量産品とは一線を画するチョコレートのこと。

日本でもクラフトチョコの盛り上がりとともにビーントゥバー専門店が増えつつあるが、コンビニチェーンとは縁遠い存在に思える。

なぜダリケーはコンビニ向け製品を開発したのか。その決断は、ダリケーにとっても創業以来の大きなターニングポイントであり、同時に、創業者で代表取締役社長の吉野慶一さんが掲げる「カカオを通して世界を変えたい」という壮大な計画の一部でもあった。

 

なぜ日本のチョコにはガーナの豆ばかり使われるのか

吉野さんがダリケーを立ち上げたのは、2011年3月11日。子供の頃からチョコレートは大好きだったというが、前職は金融アナリスト。慶應義塾大学を卒業し、京都大学とオックスフォード大学の院に学んでからモルガン・スタンレー証券(現モルガン・スタンレーMUFG証券)に入ったエリートで、経歴のどこにもお菓子づくりとの接点は見あたらない。

実はチョコレートとの出合いは、ダリケーを立ち上げる直前。

学生時代からバックパッカーとして世界を旅してきた吉野さんは、社会人になってからも休みのたびに海外旅行に出かけていた。

あるとき、休暇で訪れた韓国でカフェに入った。たまたま店の壁に貼られていた世界のカカオ豆の生産量を示す地図を目にして、アナリスト魂に火がついた。

「日本では『チョコの原料となるカカオ豆といえばガーナ』というイメージがありますよね。だけど、その地図によると、ガーナのカカオ豆生産量は世界第3位。1位はコートジボワールで、2位はインドネシアだったんです。

その場で調べてみると、実際、日本に輸入されているカカオ豆の8割がガーナ産だとわかりました。アフリカのガーナよりも、インドネシアのほうがどう考えても近いのに、なぜ日本に入ってこないのか。単純に疑問を感じたんです」。

その好奇心がすべての始まりだった。なぜインドネシアのカカオは日本に入ってこないのか。あの手この手を使って調べても理由がわからず、いっそのこと現地へ行って調べてみようと思い立つ。

「とりあえずウィキで調べると、インドネシアでとれるカカオ豆のほとんどがスラウェシ島という島で生産されていることがわかりました。じゃあそこへ行こうと。Facebookつながりでスラウェシ島の人を紹介してもらい、本当に現地へ行ってカカオ農園を案内してもらいました」。

インドネシアのスラウェシ島は、農業や林業、鉱業が盛んな、「日本でいえば北海道のような土地」。当時は観光客用のホテルもなく、吉野さんはカカオ農家の自宅に2週間ほど泊めてもらうことになった。

寝場所として提供されたのは、カカオ豆を保管する倉庫にタオルケットを敷いただけの質素なスペースだったが、幸いにもそのことが謎を解くきっかけになった。

「倉庫中にすえたような酸っぱい臭いが漂い、臭くて寝られなかったんです。これはカカオ豆から発せられているのか? と、『cacao sour』みたいなワードでネット検索すると、カカオの実は酸っぱい香りがするが、発酵するとチョコの芳醇な香りになると書いてある。ああ、ここのカカオ豆は発酵させていなんだな、と」。

さらに調べると、日本の大手菓子メーカーは発酵させているガーナ産のカカオ豆を好むことがわかった。ならば、インドネシア産のカカオ豆はどこへ行くのか。その多くがアメリカなどに安価で輸出され、工業製品的に量産されるチョコの原料になる。

「発酵」の有無。それこそが、吉野さんの探し求めていた答えだった。

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カカオ豆600kgを自腹で購入!

発酵していないカカオ豆は良い風味がしない。だから風味を気にするメーカーには買ってもらえない。ならば、発酵させれば日本企業も買ってくれるかもしれないし、買取価格だって上がるかもしれない。よかれと思い農家の人たちに進言したが、いい反応は得られなかった。

「農家の人たちが取引きをしている現地の買取業者は、カカオの風味など関係のない量産品を作るメーカーに豆を卸しているから、カカオ豆が発酵していようがしてなかろうが、同じ価格でしか買ってくれないと言う。だから発酵なんて面倒なことやらないよ、と。

でも、そんな姿勢でいたら、いつまでも彼らの生活は変わらない。せっかく良い豆があるのだから発酵すればいいじゃないかとしつこく提案すると、『発酵させたらお前が買ってくれるのか?』と詰め寄られ、つい『じゃあ買うよ』と。僕は日本から来たバイヤーだと思われていたようなんです(笑)」。

発酵した豆なら自分が買うと宣言したものの、農家の人たちは発酵の方法を知らない。そこで、吉野さんがインターネットで検索し、見よう見まねで発酵を指導した。

「そしたら豆が本当にめっちゃ良い香りになって。農家の人たちも驚いていたけれど、いちばんびっくりしたのは僕かもしれない(笑)」。

そうこうしているうちに「カカオ豆を高く買ってくれる日本人がいる」と村中に広まり、最終的に吉野さんのもとに集まったのは600kgものカカオ豆。吉野さんはそれらすべてを現地相場の2割増しで買取り、日本へ送った。

「金額は、船賃も込みで50万円ほど。とにかく豆を買ってしまったので、日本に届いたらサンプルを商社や菓子メーカーに送り、興味をもってもらえたら現地の農家と繋げてあげればいいか、くらいの考えでいました。そのときは、まさか自分がチョコレート屋をはじめるとは思ってもいなかったですね」。

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自作のチョコレートの味に感動

吉野さんが日本に帰国して数週間後、カカオ豆がインドネシアから届いた。計画していたとおり菓子メーカーに営業の電話をかけてみたが、どこも完全に門前払い。商社とも繋がりのない個人は相手にしてもらえなかった。

自宅のスペースの3分の2を埋め尽くす大量のカカオ豆を見て途方に暮れつつ、頭のなかには新たな計画が思い浮かんでいた。買ってもらえないのなら自分でチョコレートを作って売ればいいのではないか。そうするしかない、やってみよう。

やると決めたら行動するのみ。このときも吉野さんの動きは速かった。一緒にチョコレートづくりをしてくれる人を探すためにハローワークに求人広告を出し、コーヒー豆の焙煎経験があるスタッフを雇った。

「異業種からパティシエに転身となると、どこかのショコラティエで何年か修業をして、というルートが一般的ですよね。だけど、僕はどこの店でも修業していません。当時の日本にはカカオ豆からチョコを作れるシェフがひとりもおらず、独学するしかなかったんです」。

(写真提供:吉野慶一)

カカオ豆を焙煎して磨砕し、精錬してチョコレートペーストを作る──というのが基本的なチョコレートづくりの工程。けれど、当然ながら市販されているレシピ本にもカカオ豆からチョコを作る方法など載っていない。最初は焙煎の方法すらわからず、理科の実験のように5分刻み、5℃刻みで微調整を繰り返した。

そうして焙煎した焼き立てのカカオをペーストにして、生クリームや砂糖を加えたものを味見すると、あまりの香り高さとおいしさに感動した。これはいける。スタッフと一緒に寝る間を惜しんで試行錯誤を続けた結果、納得のいくチョコレートができた。

「それが、今もダリケーの主力商品になっているトリュフです。出来立ての生チョコレートに粗く挽いたカカオ豆をまぶした『中も外もカカオ』がコンセプト。カカオを丸ごと食べるような感覚を楽しんでもらえます」。

2011年1月にインドネシアでカカオ豆を買い、2カ月後の3月11日に創業。4月には京都にダリケーの第1号店をオープンしていた。

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チョコレートビジネスが動き出す

ダリケーの「Dari」はインドネシア語で「~から」を意味する言葉。「K」は、スラウェシ島の形を表すとともに、創業の地として選んだ京都(Kyoto)の頭文字でもある。スラウェシ島から、そして京都から始まった吉野さんの挑戦は、スタート当初は上々だった。

創業10年周年の2021年3月、創業の地である京都・三条に移転したダリケー本店。(写真提供:吉野慶一)

「1号店をオープンしてすぐは驚くほどチョコレートが売れました。よくよく考えればパンだって焼きたてがおいしいし、コーヒーも挽きたてがおいしい。それと同じで、チョコも挽きたての豆を使ったフレッシュなものがおいしくないはずがないんですよね。

それで最初は順調だったのが、4月にオープンしたあと気温が上がるにつれて、徐々に売れなくなっていったんです。チョコって季節モノで、暑くなると売れなくなる。6月には1日のお客さんが数人の日も珍しくなくなり、赤字がかさむ一方。このままだと近いうちに店を畳まないといけないかもと覚悟しました」。

そんなある日、男性客がやってきた。話を聞くと、京都のホテルの料理長だという。その彼が、ダリケーのチョコをホテルで使いたいとオファーしてくれた。ありがたいと思いつつ「正直にいうと店をつづける自信がない」と告白すると、今ダリケーのチョコが京都の料理人の間で話題になっていると教えてくれた。

ダリケーのチョコは、パリで食べたチョコと同じくらいおいしい。安いチョコに慣れている日本人のお客さんにわかってもらうには時間がかかるかもしれないが、もう少しの辛抱だよ、うちのホテルで使うから頑張りなよ。そう言ってくれた。

「同じようなケースがもう1件あり、ダリケーのチョコを京都市のホテルに卸しはじめました。パリで修業していたシェフに褒めてもらえると自信がつくし、『高級ホテルで使ってもらっています』と謳うこともできる。そこから全国の百貨店の催事などにお声がけいただくようになり、徐々に軌道に乗っていったように思います」。

サロン・デュ・ショコラにて。(写真提供:吉野慶一)

評判が評判を呼び、2015年にはパリで開催される「サロン・デュ・ショコラ」に初出展。ショコラティエとして知名度を獲得していくと同時に、さまざまな企業からカカオ豆を使ったコラボ製品の開発を打診されるようになる。一方で、吉野さんは自らのビジネスを冷静に見つめ直していた。

「創業当初こそ自家製のチョコレートを店頭販売することに躍起になっていましたが、そもそも僕がこの仕事をはじめたのは、スラウェシ島のカカオを日本に広めるためです。おいしいチョコを作るだけなら、僕よりも優秀なシェフがいっぱいいるし、仮に超有名店になれたとしても、カカオの使用量には限界があります。

自分たちはカカオ農家と協業して高品質なカカオ豆を自社で仕入れていることが強みなのだから、豆そのものを活かしたことを同時進行でやるべきなのではないか。そんなことを考えるようになりました」。

ダリケーは少しずつビジネスの形を変えようとしていた。

後編へ続く

吉野慶一(よしのけいいち)●1981年、栃木県生まれ。慶応義塾大学経済学部、京都大学大学院、オックスフォード大学大学院卒業。18歳からバックパックで約60カ国を旅する。外資系金融機関などで金融アナリストとして勤務後「世界の現状を憂いたり、出来ない/やらない理由を声高に叫ぶだけでは、自分も世界も何も変わらない」と29歳で脱サラ。2011年にチョコレートブランド「Dari K(ダリケー)」を京都で創業する。2015年から4年連続でパリ「サロン・デュ・ショコラ」に出展し、国際的な品評会C.C.Cでは4度ブロンズアワードを受賞。

「37.5歳の人生スナップ」とは……
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る

中山文子=写真 岸良ゆか=取材・文

# 37.5歳の人生スナップ# ダリケー# チョコレート# 吉野慶一
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