37.5歳の人生スナップ Vol.143
2021.01.16
LIFE STYLE

作業療法士が32歳で未経験の飲食業界へ飛び込んだワケ、その接点とは?

「37.5歳の人生スナップ」とは…… 

2020年6月、東京・浅草初のどぶろくに特化したマイクロブルワリー「木花之醸造所」が酒造りを開始し、話題を呼んだ。

場所は、浅草駅と蔵前駅のちょうど中間あたり。江戸通りの路地裏で異彩を放つ、真っ黒な看板とガラス張りのエントランスが目印だ。

カフェダイナー「ALLWRIGHT -sake place-(オールライト)」

ゆるやかなスロープを下って店内に入ると、左側にタンクや甑(こしき)を備えた小さな醸造所があり、その奥に併設のカフェダイナー「ALLWRIGHT -sake place-(オールライト)」の空間が広がる。

カフェダイナー「ALLWRIGHT -sake place-(オールライト)」

カフェダイナーのほうは、幅の広い導線、十分なスペースを空けて配されたテーブルとソファなど、何もかもがゆったりとした造りで、ひと目で居心地の良い店だとわかる。

おいしいお酒と料理をひとしきり楽しみ、用を足しに向かった先には、これまた広いバリアフリー仕様のトイレ。

広いバリアフリー仕様のトイレ

それを見て初めてオールライトの特殊性に気づく人もいるだろう。この店は、空間全体がバリアフリー仕様になっている。

一見わからなけれど、よく見ればバリアフリー。そんな店が生まれた理由は共同オーナー、堀木慎太郎さんの異色の経歴にある。

彼が飲食業界に身を投じたのは32歳のとき。前職は作業療法士だった。

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子供時代の記憶に導かれ、作業療法士に

作業療法士とは、身体や精神に障害のある人の日常生活をサポートする医療従事者のこと。

寝返る、立ち上がる、歩くなどの動作ができるように身体の機能回復に特化したサポートをする理学療法士に対し、作業療法士は入浴や食事など日常生活の動作や、手工芸をはじめとするさまざまな作業活動を通して、身体と心のリハビリテーションを行う。

国家資格の必要な専門職だが、堀木さんは高校生のとき既に作業療法士を志していたという。

「今振り返ると、小学生の頃にやっていたミニバスの影響が大きかったかもしれないです。バスケの先生が普段養護学校で教えていた人だったので、自閉症の子やダウン症の子を連れてきて一緒に練習することもあって。

だから医療の道へ進もうと考えていたわけではないんですが、ミニバスでの経験は強く記憶に残っていました。絵を描くのが好きだったこともあり、ものづくりを通じたリハビリで困っている人を助けられたら──自分がやりたい仕事について、漠然とそんなイメージがありましたね」。

当時はリハビリの専門学校が少なく、選んだのは静岡県の浜松にある学校。遊んでばかりだった高校生活から一転、1日10時間におよぶ受験勉強をこなして難関の入学試験にパスした堀木さんは、18歳にして単身で浜松へ引っ越す。

生まれ育った東京から遠く離れた場所で経験する、初めてのひとり暮らし。環境を大きく変えることで生まれ変われるのでは、という思春期らしい期待もあったが、結果は「なにも変わりませんでした(笑)」。

一方、ひたすら授業と勉強に打ち込んだことで、国家試験に見事合格。4年制の専門学校を卒業すると同時に、晴れて作業療法士になった。

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車椅子ユーザーのために社会の「環境整備」をする

卒業後、作業療法士として就職したのは、関東近郊に数十箇所の施設を擁するグループ病院。最初に赴任した千葉県市川市の病院には作業療法士がおらず、堀木さんは新たなリハビリテーション課の立ち上げを任されることになる。

「大きなグループ病院だったので、ほかの病院へ研修へ行くことも多かったですし、グループ内の老人保健施設の立ち上げにも何度も参加しました。いろいろな経験をさせてもらってありがたかったですが、作業療法士として何年か働くうちに、自分がやりたいこととのずれを感じるようになったんです」。

前述したとおり、作業療法士は身体や心に障害のある人に対してリハビリテーションを行う。もちろん、身体も心も、障害が治るのであれば治すのがベスト。しかし堀木さんは、それは必ずしも自分の仕事でなくてもよいと考えるようになっていった。

「だって、特に身体障害の場合、どうしたって回復できない症例もあるわけです。たとえば歩けなくなって車椅子生活を余儀なくされた人がいたとして、僕としては『歩けないのは不幸だからがんばって治そうね』ではなく、『歩けなくたって幸せだね』と感じてもらうためのサポートがしたかった。

実は実家で一緒に暮らしていたうちの祖母は全盲だったんですけど、目が見えなくたってひとりで散歩へ出かけていたし、出先で友達を作って帰ってきて、家族を驚かせたこともあるし。

誤解をおそれずにいえば、『障害があるからなんなの?』みたいな感覚もどこかにあったんです」。

歩けない人も幸せを感じるために、自分にできることはなにか。それをいうならば、そもそも人が幸せだと感じる瞬間はどんなときか。

突き詰めて考えた結果、頭に浮かんだキーワードが「飲食」だった。

「人って、お気に入りの飲食店に行って、うまい酒を飲んだり料理を食べたり、他人とコミュニケーションをとっているときに幸せを感じるじゃないですか。だけど、車椅子の人はそもそも行ける店が少なかったり、店に入ってもくつろげなかったりする。

30歳のとき、飲食店を経営している同級生と話していてそのことに気づいたんです。車椅子ユーザーのためにリハビリを行う作業療法士や理学療法士は世の中にたくさんいるけれど、車椅子ユーザーのために『環境整備』をする人はほとんどいない。それなら僕がやろう、と」。

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飲食業界へ入って感じたジレンマ

自分が飲食業界に飛び込んで、車椅子ユーザーが行ける場所を増やす。そのために、32歳で作業療法士を辞め、それから3年間修行。そして、35歳で自分の店を持つという未来予想図を描いた堀木さん。なんと、その計画を本当に実行したというから驚く。

「どんなに知識があろうと、すばらしい理論を持っていようと、経験が伴わなければそれほど価値はないと思っているので。

たとえば世界の国について書かれた本を100冊読んだ人はもちろんすごいけれど、実際に世界一周したことがある人の言葉のほうを僕は信じる。それで一気に飛び込んじゃった感じですね」。

その後、予定どおりに32歳で作業療法士を辞め、飲食店での3年間の修行を経て、2015年5月、馬喰横山にクラフトビールと炭火焼き料理の店「BEER WARS TOKYO(ビアウォーズトーキョー)」をオープン。

30席ほどのこぢんまりとした店だったが、それでも2席分のスペースを潰してバリアフリー仕様のトイレを作り、入り口の段差には特注のスロープを用意した。

クラフトビールと炭火焼き料理の店「BEER WARS TOKYO(ビアウォーズトーキョー)」
以前の店舗ではこんな特注のスロープで対応。 写真提供:堀木慎太郎

国内外から選りすぐったさまざまなクラフトビールと、ビールによく合う炭火焼き料理が評判となり、ビアウォーズトーキョーはオープンからほどなくして人気店に。車椅子のお客さんも少しずつ訪れるようになり、なかには名古屋から新幹線に乗ってまで通ってくれる人もいたという。

しかし、堀木さんは満足していなかった。

ビアウォーズトーキョーができたことで、確かに車椅子ユーザーでも通えるおいしいお店は1軒増えたかもしれない。けれど、元医療従事者で業界に知り合いの多い堀木さんの店でさえ、車椅子のお客さんの数は年間15人ほど。それでは世の中の「環境整備」には程遠い。

「本来なら、大手の飲食チェーンさんがやってくれればいいんですけど、さっきも言ったように、店をバリアフリー仕様にすると席数を犠牲にしなければならないので。とくに飲食店は数字にシビアですから、回転率を考えるとそう簡単にはできないです。そのあたりの感覚が医療業界とは真逆で、けっこうなジレンマがありました」。

一念発起して飲食業界に飛び込んだものの、まだまだ遠い「環境整備」への道。堀木さんの試行錯誤ははじまったばかりだった。

後編へ続く

堀木慎太郎(ほりきしんたろう)●1980年、東京都生まれ。高校卒業後、リハビリの専門学校に進学し、作業療法士の国家資格を取得。病院や老人保健施設で身体や精神に障害のある人のサポートに従事し、32歳で退職。3年間飲食店で勤務したのち、2015年、東京・馬喰横山にクラフトビールと炭火焼き料理の店「BEER WARS TOKYO」をオープン。2019年には浅草に「ALLWRIGHT -sake place-」および併設のマイクロブルワリー「木花之醸造所」をオープンした。

「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る

岸良ゆか=取材・文 中山文子=写真

# 37.5歳の人生スナップ# バリアフリー# 作業療法士
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