37.5歳の人生スナップ Vol.139
2020.12.26
LIFE STYLE

「林業でいい稼ぎ方を」。大手商社サラリーマンが山村に移住したワケ

「37.5歳の人生スナップ」とは…… 

近年、キャリアや生き方を考えるときに「移住」という選択肢がメジャーになりつつある。

故郷へのUターンはもちろん、海が好きで海のそばに移住する人もいれば、好きな町を見つけてそこでの暮らしを実現するために引っ越す人もいる。あるいは地方自治体が募集する移住プロジェクトに応募する人もいる。

羽田知弘さんが岡山県西粟倉村(読み:にしあわくらそん)に6年前に移住したのは、転職がきっかけだった。後述するがこの村の基幹産業は林業であり、羽田さんが働いているのも木材会社だ。

 

狩猟、畑。自分の力で生きる山村ライフ

羽田さんはサラリーマンとして働きながら、この村ならではの暮らしを実践し、楽しんでいる。そのひとつが狩猟だ。

「25歳で移住してきた当初、シェアハウスに住んでいたんです。そのときのシェアメイトが狩猟をやっていたんです。それで自分も興味を持って、くくり罠猟の免許を取りました」。

くくり罠とは動物が踏むと足が括られる仕掛けの罠で、イノシシや鹿を捕らえるのに使われる。

「猟期(西粟倉村の場合11月15日〜翌年3月15日まで)には、朝の出勤前とか夕方に山に仕掛けておいた罠を見回りに行きます。

イノシシや鹿は畑を荒らす害獣でもあるので、村の人に頼まれて畑の脇などに罠を仕掛けておくこともあります。捕った獲物は村の加工場に持っていって捌いて食肉にしたり、休日は自分で捌いて食べることもありますね」。

罠の見回りに山へ入るときは、猟友会のベストとキャップを着用。森林の中でも目立つオレンジ色は事故防止のため。
罠の見回りに山へ入るときは、猟友会のベストとキャップを着用。森林の中でも目立つオレンジ色は事故防止のため。

猟期でない春夏の羽田さんの日課は畑仕事。自分と妻が食べるためにいろいろな野菜を育てている。羽田さんの西粟倉村でのライフスタイルは自給自足生活の実践というわけだ。

「お金を払ってなんでも買える時代だけれども、自分で手を動かして食べ物を手に入れる、自分の力で生きるということにずっと興味があったんですよね。

子供の頃、父や祖父に連れられてよく川に行ったり山に入ったりして、よもぎを摘んだり、アユを釣ったりしたんです。そういう “サバイバル体験”をしていたことも影響しているかもしれませんね」。

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きっかけは木材を扱うローカルベンチャー

こうして羽田さんがサラリーマンをしながら狩猟や野菜づくりをして暮らしている西粟倉村は、岡山県の最北端部に位置する人口1500人弱の村だ。中国山地の中にあり、その面積の95%は山林である。

そんな山の中の小さな村でありながら、実は人口の1割が移住者で、地域創生の先進地として注目されている。

岡山県西粟倉村(にしあわくらそん)の主な産業は林業。
岡山県西粟倉村(にしあわくらそん)の主な産業は林業。

村の転換点は10年ほど前に遡る。平成の大合併の際に村としての存続を選んだのだ。そのときに掲げたのが「百年の森林構想」。林業が盛んだった50年前に植えられた木をしっかり育み、間伐して道を整備し山林を整え、森を管理しようというもの。そして、村ぐるみで100年生の豊かな森を育てていこうという意思表示だ。

以来、西粟倉村は林業を軸とした地域再生を試み、起業を志す移住者を積極的に受け入れてきた。その中心的存在が、「株式会社西粟倉・森の学校」である。間伐材を加工してプロ向けの建材を作るのはもちろん、DIY向けのオリジナルフローリングや家具、雑貨などの商品開発や生産販売を行い、林業を中心とする地域の資源に価値を生み出しているローカルベンチャーだ。

羽田さんがこの村に移住したのは、この森の学校に転職したためだった。

「自給自足の田舎暮らしをしたくて移住したというわけではないんです。以前は東京で国産木材の専門商社に勤めていました。もともと林業でいい稼ぎ方ができるようにしたい、そう考えてこの仕事に就いたんです」。

ボランティアで知った林業の現実

羽田さんが林業に興味を持ったきっかけは、大学時代の体験に遡る。大学では“たまたま”生物資源学部に在籍し、林業や森林計画について研究していた。

「大学に入ったときにはコンプレックスを抱えていました。高校は進学校で、東大や京大を目指す同級生もたくさんいた中、僕は一浪して第一志望に入れず三重大学に入学したんです。サークルとかバイトとか、大学生活に期待していたことはあるんですけど、『こういう生活に4年間を費やしていいものか……このままだと負け犬感を一生抱えて生きることになる。人と違う経験をしなくちゃダメだ』と考えるようになって」。

それで羽田さんが積極的に参加するようになったのが、専攻を活かした大学の外でのさまざまなボランティア活動だ。ケニアに植林に行ったこともあるという。

そのひとつに、岡山県新見市で間伐をするボランティアがあった。全国の大学生と共同生活をしながら、間伐作業をするものだ。

「そのとき話した若い林業作業員の人が、梅雨時期は給料が月10万円もないって言うんです。僕の居酒屋バイトでもそれ以上稼げるのにってショックを受けました。林業って1000人に1人が事故で亡くなるんですよ。そういう危険な仕事で誇りも持っているのに、稼げないっておかしいじゃないですか。

林業に情熱を燃やしていたその人も、その後に辞めちゃったんです。もっときちんと稼げてもっとやりがいを感じられるような未来があれば、その人も辞めなかっただろうなと思って。この経験がきっかけで、自分も林業に関わっていきたいと思うようになったんです」。

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やりたいことが見えたものの、やり方がわからない

羽田さんが学生時代からチャレンジし続けているのがマラソンだ。
羽田さんが学生時代からチャレンジし続けているのがマラソンだ。

こうして林業に将来の目標を見出した羽田さんだが、なんと大学を休学して、NPO団体で働くという決断をする。

「講演を聞いたりボランティアに参加したりして何か成長した気にはなるけれど、明日の自分は何にも変わってなくて。結局、自分自身が変わらないと、それには何かやらないと、と考え、働いてみようと思ったんです」。

この経験はその後の羽田さんにとって大切なものとなった。それは価値観を変えた経験だった。

「働いていたNPOは、地域の中小企業の人材育成や採用のサポート事業をしていました。僕の仕事は大学生向けの長期インターンシッププログラムのコーディネイトでした。その仕事を通じて本当にいろいろな生き方、働き方をしている人に会ったんです。たとえば、ホームレスから一念発起して会社を興した人もいました。

それまでの僕は、少しでもレベルの高い大学に行き、人よりも高い給料もらって……ということを幸せの理想像みたいに考えていて。それが、いろんな社長に出会って『こんなふうに生きてもいいんだ』と思えたことは、すごく大きかった」。

リモート取材中。木材も、建てたのも「森の学校」だ。

いつかここで働きたい

そしてこの仕事を通じて羽田さんが知ったのが、現在勤務する森の学校だった。

「働いているときも林業でちゃんと稼ぎたいということは思っていて、『だったらここを一度訪ねてみるといいよ』と教えてもらったんです」。

林業に関わる卒業後の進路として、国立大学の林業専攻の学生が就職するとしたら、県庁市役所、あるいはハウスメーカーが妥当なところ。「木こりや行政職だけが山と関わる仕事じゃないだろう」と羽田さんは林業に関わる面白い会社を探していたところだった。

「初めて訪ねたときに、いつかここで働きたいと思ったし、社長たちにもそう話しましたね。『大学を辞めてすぐ来んか』と誘われましたが、それはお断りしました。覚悟が無かったんでしょうね。

西粟倉村は先陣を切って『林業で稼ぐ』と宣言していた地域なので注目度は高かったんですが、森の学校は立ち上がったばかりで、経営も安定していませんでした」。

大きな事業を動かす会社でも働いてみたい、という思いもあった。小さなベンチャーの取り組みに参加したり、あるいは事業を興すには、今の自分ではうまくいかないんじゃないかという不安もあった。

「せっかく新卒というカードもあるんだし、一回ちゃんと就職活動をして木材商社にいってみよう、大きいビジネスを経験してからでも遅くないだろうって考えたんです」。

1年半の休学ののちに復学した羽田さんは、最終学年で卒業に必要な単位の半分以上を取得した。そして、新卒枠で大手国産木材商社に就職し、東京で社会人となった。

しかし、1年足らずでその会社を辞め、西粟倉村へ移住することになったのだ。

 

後編に続く

羽田知弘●1989年、愛知県津島市生まれ。三重大学卒業。大学では生物資源学部に在籍し、林業や森林計画について研究。卒業後、国産材専門の木材商社・住友林業フォレストサービスを経て、2014年に岡山県西粟倉村の森の学校へ転職し、移住する。現在は森の学校の営業部長として、新しい木材流通を生み出すべく、営業はもちろん商品や事業の企画を行っている。くくり罠の狩猟免許を取得し、獲物を捌くことも。また、大学時代からトレイルランやウルトラマラソンにも挑戦している。

「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る

川瀬佐千子=取材・文 羽田知弘=写真提供

# 37.5歳の人生スナップ# 狩猟# 移住
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