きっかけは木材を扱うローカルベンチャー
こうして羽田さんがサラリーマンをしながら狩猟や野菜づくりをして暮らしている西粟倉村は、岡山県の最北端部に位置する人口1500人弱の村だ。中国山地の中にあり、その面積の95%は山林である。
そんな山の中の小さな村でありながら、実は人口の1割が移住者で、地域創生の先進地として注目されている。
村の転換点は10年ほど前に遡る。平成の大合併の際に村としての存続を選んだのだ。
そのときに掲げたのが「百年の森林構想」。林業が盛んだった50年前に植えられた木をしっかり育み、間伐して道を整備し山林を整え、森を管理しようというもの。そして、村ぐるみで100年生の豊かな森を育てていこうという意思表示だ。
以来、西粟倉村は林業を軸とした地域再生を試み、起業を志す移住者を積極的に受け入れてきた。その中心的存在が、「株式会社西粟倉・森の学校」である。
間伐材を加工してプロ向けの建材を作るのはもちろん、DIY向けのオリジナルフローリングや家具、雑貨などの商品開発や生産販売を行い、林業を中心とする地域の資源に価値を生み出しているローカルベンチャーだ。
羽田さんがこの村に移住したのは、この森の学校に転職したためだった。
「自給自足の田舎暮らしをしたくて移住したというわけではないんです。以前は東京で国産木材の専門商社に勤めていました。もともと林業でいい稼ぎ方ができるようにしたい、そう考えてこの仕事に就いたんです」。
ボランティアで知った林業の現実
羽田さんが林業に興味を持ったきっかけは、大学時代の体験に遡る。大学では“たまたま”生物資源学部に在籍し、林業や森林計画について研究していた。
「大学に入ったときにはコンプレックスを抱えていました。高校は進学校で、東大や京大を目指す同級生もたくさんいた中、僕は一浪して第一志望に入れず三重大学に入学したんです。サークルとかバイトとか、大学生活に期待していたことはあるんですけど、『こういう生活に4年間を費やしていいものか……このままだと負け犬感を一生抱えて生きることになる。人と違う経験をしなくちゃダメだ』と考えるようになって」。
それで羽田さんが積極的に参加するようになったのが、専攻を活かした大学の外でのさまざまなボランティア活動だ。ケニアに植林に行ったこともあるという。
そのひとつに、岡山県新見市で間伐をするボランティアがあった。全国の大学生と共同生活をしながら、間伐作業をするものだ。
「そのとき話した若い林業作業員の人が、梅雨時期は給料が月10万円もないって言うんです。僕の居酒屋バイトでもそれ以上稼げるのにってショックを受けました。林業って1000人に1人が事故で亡くなるんですよ。そういう危険な仕事で誇りも持っているのに、稼げないっておかしいじゃないですか。
林業に情熱を燃やしていたその人も、その後に辞めちゃったんです。もっときちんと稼げてもっとやりがいを感じられるような未来があれば、その人も辞めなかっただろうなと思って。この経験がきっかけで、自分も林業に関わっていきたいと思うようになったんです」。
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