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やりたいことが見えたものの、やり方がわからない


羽田さんが学生時代からチャレンジし続けているのがマラソンだ。
羽田さんが学生時代からチャレンジし続けているのがマラソンだ。

こうして林業に将来の目標を見出した羽田さんだが、なんと大学を休学して、NPO団体で働くという決断をする。

「講演を聞いたりボランティアに参加したりして何か成長した気にはなるけれど、明日の自分は何にも変わってなくて。結局、自分自身が変わらないと、それには何かやらないと、と考え、働いてみようと思ったんです」。

この経験はその後の羽田さんにとって大切なものとなった。それは価値観を変えた経験だった。

「働いていたNPOは、地域の中小企業の人材育成や採用のサポート事業をしていました。僕の仕事は大学生向けの長期インターンシッププログラムのコーディネイトでした。その仕事を通じて本当にいろいろな生き方、働き方をしている人に会ったんです。たとえば、ホームレスから一念発起して会社を興した人もいました。

それまでの僕は、少しでもレベルの高い大学に行き、人よりも高い給料もらって……ということを幸せの理想像みたいに考えていて。それが、いろんな社長に出会って『こんなふうに生きてもいいんだ』と思えたことは、すごく大きかった」。

リモート取材中。木材も、建てたのも「森の学校」だ。

いつかここで働きたい


そしてこの仕事を通じて羽田さんが知ったのが、現在勤務する森の学校だった。

「働いているときも林業でちゃんと稼ぎたいということは思っていて、『だったらここを一度訪ねてみるといいよ』と教えてもらったんです」。

林業に関わる卒業後の進路として、国立大学の林業専攻の学生が就職するとしたら、県庁市役所、あるいはハウスメーカーが妥当なところ。「木こりや行政職だけが山と関わる仕事じゃないだろう」と羽田さんは林業に関わる面白い会社を探していたところだった。

「初めて訪ねたときに、いつかここで働きたいと思ったし、社長たちにもそう話しましたね。『大学を辞めてすぐ来んか』と誘われましたが、それはお断りしました。覚悟が無かったんでしょうね。

西粟倉村は先陣を切って『林業で稼ぐ』と宣言していた地域なので注目度は高かったんですが、森の学校は立ち上がったばかりで、経営も安定していませんでした」。

大きな事業を動かす会社でも働いてみたい、という思いもあった。小さなベンチャーの取り組みに参加したり、あるいは事業を興すには、今の自分ではうまくいかないんじゃないかという不安もあった。

「せっかく新卒というカードもあるんだし、一回ちゃんと就職活動をして木材商社にいってみよう、大きいビジネスを経験してからでも遅くないだろうって考えたんです」。

1年半の休学ののちに復学した羽田さんは、最終学年で卒業に必要な単位の半分以上を取得した。そして、新卒枠で大手国産木材商社に就職し、東京で社会人となった。

しかし、1年足らずでその会社を辞め、西粟倉村へ移住することになったのだ。
 
後編に続く
羽田知弘●1989年、愛知県津島市生まれ。三重大学卒業。大学では生物資源学部に在籍し、林業や森林計画について研究。卒業後、国産材専門の木材商社・住友林業フォレストサービスを経て、2014年に岡山県西粟倉村の森の学校へ転職し、移住する。現在は森の学校の営業部長として、新しい木材流通を生み出すべく、営業はもちろん商品や事業の企画を行っている。くくり罠の狩猟免許を取得し、獲物を捌くことも。また、大学時代からトレイルランやウルトラマラソンにも挑戦している。
「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る


川瀬佐千子=取材・文 羽田知弘=写真提供

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