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2020.09.07

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「何もできなかった」松山智一が最短距離で世界的アーティストになれた理由

「37.5歳の人生スナップ」とは……
前編の続き。
リニューアルした新宿東口の駅前広場に、新アイコンとしてそびえ立つオブジェ『花尾』。この巨大パブリックアートを手掛けた松山智一は、ニューヨークで活躍する気鋭のアーティストだ。

スノーボーダーとしてのキャリアを積みながら、大怪我を機に「ものづくり」の道へ転向。単身、ニューヨークへ渡った。
しかし、デザインの素人だった松山にとって、それは25歳にしてゼロからの挑戦。アートのイロハを学ぶなかで、メトロポリタン美術館で日本美術と運命の出合いを果たした。
 

キース・ヘリングやバンクシーが描いた「伝説の壁」


思い切って作品に浮世絵の要素を加え始めた松山は、すでに30歳になっていた。作風はまだない。
そんななか、ストリートアーティストとして活動し始めるようになる。
「ずっとベッドルームで絵を描いていたんですが、それだったら別にニューヨークじゃなくてもいいじゃないですか。どんなにいい絵を描いたとしても、作品は寝室から一歩も出てくれない。誰かに見てもらうにはどうしたらいいかと考えて、選択肢として外に描くしかなかったんです」。
その頃、コミュニティではブルックリンのウィリアムズバーグが話題だった。
「みんな『ウィリアムズバーグにウォールアートを観に行こうよ』って誘い合って出かけていたんです。そこで気付いたんです。あそこででかいものを描けば、絶対承認されるんじゃないかって」。
そこからは毎日、描かせてもらえる場所を探し続けた。そして、ようやくOKが出たのが、とある一軒のバーだった。
「せっかくバーに描くなら、動線も作りたいって思ったんです。壁を見て、なんだろう?って中に入っていくとバーなんだけど、壁にも絵が書いてあって、DJブースもライトボックスも僕の作品になっている」。
このアイデアが受けて、なんとスポンサーまでついた。
「だけど壁画にブランドロゴ入れて欲しいって言われちゃって(笑)。それってアートじゃなくて広告じゃないですか。それはできないって断ったんです」。
代わりに松山が提案したのは、コースターだった。何の店だろうと入ってきた客にバーテンダーがバーであることを告げ、飲み物を勧める。買った客には片面に松山の作品、片面にブランドロゴが記されたコースターを持って帰ってもらう。
「これがちょっとバズって。そうしたら、突然、雑誌が15ページぐらい特集してくれたんです」。
その特集に目を留めたのがナイキだった。アーカイブの商品をアーティストにリデザインしてもらうというプロジェクトで松山に声がかかったのだ。アーティストと職業がやっと連動した瞬間だった。
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感じ始めた絵画の限界とモニュメントへの希望


「ただ、その頃の僕の作品はグラフィカルでポップだった。アーティストになるには、もっと作品性を高めないといけないと思ったんです」。
浮世絵や日本美術の要素を加えつつ、頭に浮かんでいたのは「サラダボウルみたいな人種の坩堝」だった。ニューヨークで受けたさまざまな経験や感動をパッチワークしていくことで、移ろうアイデンティティを表現する。徐々に松山はその作風を作り上げていった。
ダウンタウンの小さなセレクトショップに作品が展示され、小さな画集を出版した。それが有名なギャラリーの目に留まり、アート・バーゼルへの出品を勧められ、ニューヨークで作品を売ることができるまでになった。
そして2019年9月、松山はついにニューヨークにある伝説の壁「バワリー・ミューラル」に壁画を描くことを実現。高さ約6m、幅約26mの巨大な壁には、これまで、キース・ヘリング、バンクシーなど、世界の名だたるアーティストが壁画を描いてきた。
松山のこの快挙は日本でも大きな話題を呼んだが、一方で、次第に新たな表現に挑戦したいという衝動も感じ始めていた。
「絵って壁に掛けるしかないじゃないですか。立体ならば、さらに自分の強度と個性を出せるんじゃないか。でかい壁画を描いて認められるなら、巨大なモニュメントを作れば目立つはずだって思ったんです」。
もちろん立体をどうやって作るかなんて知らない。
「だったら作ってみればいい。やらなかったら、ここ止まり。結局はやるか、やらないかしかないんです。僕の強みは“画家であること”だと思いました」。
つまり、どういうことか。
「キース・ヘリングの彫刻を見るとね、決して上手とは言えないんですよ(笑)。でも、あそこには彼のチャームさと強さ、一発でわかる爽快感がある。なぜかって考えたときに僕たちは色を知っているからだと気付いた。普通、彫刻には色がない。だから彫刻家は素材にこだわっていく。でも、画家は色や図案でも立体を捉えられる。だったら画家にしかできない立体物を作ろうと決意しました」。
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