37.5歳の人生スナップ Vol.89
2019.10.19
LIFE STYLE

嫌われ者・青木真也(36歳)が積み重ねてきた“勝敗ではないモノ”とは?

2019年10月13日。日本の国技・相撲の聖地として知られる両国国技館に、その男は立っていた。アジア最大の格闘技イベント「ONEチャンピオンシップ」の舞台である。ウルフルズの人気曲「バカサバイバー」を口ずさみながら花道を通ってケージのなかに入ると、リングアナウンサーの甲高い声が場内に響きわたる。

「シンヤー、“トビカンジュウダーン”、アーァオキ!」

ウルフルズの人気曲「バカサバイバー」を口ずさみながら入場する青木真也選手。

この選手紹介で、会場に訪れた観客が一気に沸き立つ。どこからともなくコールが沸き起こる。

「アァオキ! アァオキ! アァオキ!」。

場内の照明が消えたかと思うと、暗闇のなかから浮き上がるように丸いケージだけが照らし出された。ケージのなかは、雌雄を決する2人のアスリートと、その一戦を裁くレフリーだけしか入ることの許されない特別な空間だ。

観客は固唾を飲んで、ケージ内を見守る。心臓が暴れ出し、血液が激しく波打つ。聞こえないはずの音が、頭の奥に響きわたっている。そこに集まった観客たちの体内を脈打つ鼓動までもが外に溢れ出し、場内に異様な空気を作り出しているようだ。

選手同士がケージ中央に集められ、顔を合わせたら、試合前の儀式は終了だ。

カァーン!

冷たい金属音が鳴り響き、待ちに待った試合が始まった。観客席にいた人たちのボルテージはすでに最高潮に達していた。

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孤独の歴史が独自のスタイルを確立した

この日、両国国技館の中央に設置されたケージのなかにいた男の名は、青木真也(36歳)。

これまでプロ通算54戦ものキャリアを積み上げてきた総合格闘家だ。PRIDEやONEチャンピオンシップなど、世界最高峰のメジャー団体で戦い、多くの勝ちを積み重ね、手痛い負けも経験してきた。打撃を得意とする選手が多い昨今の総合格闘技の世界で、寝技にこだわり続けてきた異端の格闘家でもある。

特に、飛びついてからの関節技があまりにも芸術的であることから、ついた異名は「跳関十段」(素早く相手に跳びついて関節技を極めるという意味)。その独特のスタイルは、幼い頃から歩んできた男の歴史が育んだものだった。

幼い頃から、じっとしていることができず、先生の言うことが聞けなかった青木は、クラスでも問題児扱いされる少年だった。周りと馴染むことができずクラスメイトとは喧嘩ばかり。給食は一人で食べ、夏休みに遊びに行きたくても一緒に遊ぶ友達もいなかったという。

そんな孤独を味わっていた青木にとって、小3から始めた柔道に集中しているときだけが唯一の救いの時間だったそうだ。

決して才能に恵まれたわけではなかったが、大好きな柔道を続けた青木に転機が訪れたのは、中学2年生の時だった。

団体戦で補欠だった青木は「センスがない」「お前には期待していない」と指導者から、はっきりと突き放された。どうしたらレギュラーになれるのか。このとき青木が出した答えは、誰も知らないような新しい技を繰り出すことだった。

知らない技なら、誰にも対応されることはないからだ。それに気づいた青木は、部活動以外にも、街の道場に通いながら、新しい技を次々に覚えていったそうだ。

通常、柔道では、相手を投げて勝つのが王道のスタイルだ。だが青木は、いきなり関節技を仕掛ける変則的なスタイルをとった。それを邪道と批判する声は常にあったが、そんな周囲の声に流されることなく、自分だけのスタイルに磨きをかけていったのだった。

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世間から浴びせられた「ざまぁみろ」の声

こうして、常に周囲からの批判にさらされてきた青木だったが、追い打ちをかけるかのように、世の中から痛烈な批判を浴びたのは、2009年、そして2010年の大晦日に行われた格闘技イベント「Dynamite!! ~勇気のチカラ~」でのことである。

「Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~」で、腕を骨折して倒れていた廣田瑞人選手に対し、顔の前で中指を突き立てるという卑劣な行為を行なった青木に、格闘技界の内外から強烈なバッシングが浴びせられる。これで青木は完全に世間を敵に回すことになった。さらに、その1年後の大晦日に、今度は、当時立ち技で活躍していた長島☆自演乙☆雄一郎選手と異種格闘技戦を行うことになる。

この試合は、第1ラウンドは立ち技ルール、第2ラウンド目は総合格闘技ルールという変則的なレギュレーションで行われた。青木が第1ラウンドをどのように戦うのかに注目が集まったが、青木がとった作戦は、「時間稼ぎ」だった。

クリンチ(相手の体に抱きついたり体の一部を掴んで相手の動きを止める行為)を多用したり、何度もドロップキックを放ち、そのまま倒れこんだりしながら、時間を浪費する作戦にでたのである。

正々堂々と戦わない青木に、観客はブーイングを浴びせたが、それでも勝負に徹し、第1ラウンドを凌ぎ切った。場内は騒然とし、リングサイドに座る解説者のなかには、青木を卑怯者呼ばわりするものもいた。

続く第2ラウンドは、総合格闘技ルール。青木が得意とする寝技に持ち込んで難なく勝利をすることを、誰もが想像したはずだ。そして運命の第2ラウンドが始まる。開始と同時に、寝技に持ち込もうと、相手の足腰をめがけてタックルを仕掛けた青木は、そこでプッツリと記憶を失った。なんと、カウンターで相手の膝蹴りをまともに受け、まさかの失神KO負けを喫したのである。

会場内は、一気に大歓声に包まれた。解説者たちも興奮し、もはや解説の仕事を投げ出して勝者を祝福し、青木を批判する。自分の土俵である総合格闘技ルールで無様な姿をさらけ出す青木をみて、多くの観客と視聴者はこう言った。

「ざまぁみろ」。

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青木が積み上げてきた勝敗以外のモノ

筆者は、このときほど寂しさを覚えた試合を見たことがなかった。あの強くて太々しい青木真也が自分の土俵で負けたから、ではない。世間に晒されるものの辛さを、社会から弾きだされるものの辛さを、青木真也の姿にみたのだ。

あれから約10年の時が経った。敢えてそのことを青木にぶつけてみると、青木は満面の笑みを浮かべながらこう話した。

「最高じゃないですか。それは感情を揺さぶられたってことだよね。プロ格闘家ってさ、試合を積み重ねていくことによって、その人物の歴史が上書きされて、その人物の物語ができあがっていくんだよ。勝敗よりも、ストーリーに価値があるんだよ。俺、スポーツ選手じゃないもん」。

その言葉に驚くものがあった。さらに青木に質問を投げかける。「あなたは自分の職業をどう表現するのか」と。すると青木は淀みなく、こう答えた。

「演者。芸事をしている演者ですよ。その人がどういう歴史を歩んできて、どんな創意工夫を凝らして、試合に挑んだか。それが伝わるから、みんなが自分のことのように感情移入してくれる。俺らは、勝ち負けの商売をしているんじゃない。感情を揺さぶる商売をしているんだよ」。

青木真也は、嫌われ者である。これまで数多くの「ざまぁみろ」を投げつけられてきた。それでも試合を積み重ねながら、長い年月をかけて、青木真也という人間のストーリーを紡ぎ、観客の感情にメッセージを投げかけてきたのだ。

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今、青木が伝えたいこと

実は、10月13日の「ONEチャンピオンシップ」での試合に先駆けて、10月10日に行われた記者会見で、青木は次のように語っている。

「試合は怖くてやりたくないです。でもみんな仕事したくなかったり、仕事が怖かったり。僕たちも格闘技が好きなんですけど、すごく怖いなかでやっています。その中で、何かみなさんに伝わるメッセージを残せればと思います」。

こう語った青木が、いま伝えたいものは何なのか。

いよいよ、ゴングが鳴り、第1ラウンドが始まる。開始と同時に、寝技に持ち込もうと、相手の足腰をめがけてタックルを仕掛けた。そう、「あの試合」の第2ラウンドのように。

元ONEフェザー級世界王者であるホノリオ・バナリオにタックルで組みつき、そのまま得意の寝技に持ち込む。相手の首に腕を巻きつけて技をきめると、相手はたまらずタップ(降参する行為)。

試合開始からわずか54秒での鮮やかな決着に、観客席から溢れていた聞こえないはずの音は、この勝利と化学反応を起こしたかのように大爆発し、割れんばかりの歓声となって場内に鳴り響いた。

試合後の勝利者インタビューで、再びケージの中央に立った青木は、マイクを握りながら、いつものように想いを叫んだ。

「36歳になって、家庭を壊して、好きなことやって。どうだお前ら、うらやましいだろ!」

青木はこれまで、社会や人間関係に抑圧され、プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、必死になって戦ってきた。その苦しみがわかるからこそ、同じように辛い思いをしている人たちに、語りかける。

生きるのが辛くても、孤独であっても、コツコツとやり続けていれば、いつか報われる時がくるんだよと。

その生き様は、同調圧力に苦しむ多くの人たちに勇気を与える。だからこそ、青木真也に感情移入し、感情を揺さぶられるのだ。

 

瀬川泰祐=取材・文・写真

# ONEチャンピオンシップ# 格闘技# 青木真也
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