孤独の歴史が独自のスタイルを確立した
この日、両国国技館の中央に設置されたケージのなかにいた男の名は、青木真也(36歳)。
これまでプロ通算54戦ものキャリアを積み上げてきた総合格闘家だ。PRIDEやONEチャンピオンシップなど、世界最高峰のメジャー団体で戦い、多くの勝ちを積み重ね、手痛い負けも経験してきた。打撃を得意とする選手が多い昨今の総合格闘技の世界で、寝技にこだわり続けてきた異端の格闘家でもある。
特に、飛びついてからの関節技があまりにも芸術的であることから、ついた異名は「跳関十段」(素早く相手に跳びついて関節技を極めるという意味)。その独特のスタイルは、幼い頃から歩んできた男の歴史が育んだものだった。
幼い頃から、じっとしていることができず、先生の言うことが聞けなかった青木は、クラスでも問題児扱いされる少年だった。周りと馴染むことができずクラスメイトとは喧嘩ばかり。給食は一人で食べ、夏休みに遊びに行きたくても一緒に遊ぶ友達もいなかったという。
そんな孤独を味わっていた青木にとって、小3から始めた柔道に集中しているときだけが唯一の救いの時間だったそうだ。
決して才能に恵まれたわけではなかったが、大好きな柔道を続けた青木に転機が訪れたのは、中学2年生の時だった。
団体戦で補欠だった青木は「センスがない」「お前には期待していない」と指導者から、はっきりと突き放された。どうしたらレギュラーになれるのか。このとき青木が出した答えは、誰も知らないような新しい技を繰り出すことだった。
知らない技なら、誰にも対応されることはないからだ。それに気づいた青木は、部活動以外にも、街の道場に通いながら、新しい技を次々に覚えていったそうだ。
通常、柔道では、相手を投げて勝つのが王道のスタイルだ。だが青木は、いきなり関節技を仕掛ける変則的なスタイルをとった。それを邪道と批判する声は常にあったが、そんな周囲の声に流されることなく、自分だけのスタイルに磨きをかけていったのだった。
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