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2019.12.03

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東洋大学駅伝部監督・酒井俊幸が語る「箱根で好走できなかったから監督になれた」

>連載「37.5歳の人生スナップ」を読む
「愛情はかけても情けはかけない。監督をするうえで私が大切にしていることです」。
そう語るのは、東洋大学で陸上競技部長距離部門の監督を務める酒井俊幸さん(43歳)。
酒井俊幸
酒井さんが監督に就任したのは2009年。当時、最年少の32歳での監督就任というプレッシャーを抱えながらも、東洋大を総合優勝2連覇に導いた。そんな酒井監督の1年は、駅伝で始まり、駅伝で終わる。
「出雲、全日本、箱根と3大駅伝のなかで、準備がいちばんかかるのは箱根駅伝ですね。走る人数も多いし、道の高低差もある。年間を通して箱根駅伝を見据えたチーム作りをするのが、私の監督として仕事のひとつです」。
チーム作りに終わりは無い。1年をかけてメンバーのコンディションを高め、チームの結束を強くしていく。正月が終わればまたすぐに1年後の箱根のために新たなメンバーでリスタートが切られる。学生時代から自身も箱根駅伝選手として活躍してきた酒井さん。しかし、学生時代は「箱根駅伝で好走できなかった」選手だったと笑う。
箱根駅伝の名監督はどのように誕生したのだろうか。


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