37.5歳の人生スナップ Vol.61
2019.05.21
LIFE STYLE

【後編】Amazonを辞めて始めたのは“どう考えても成り立たないビジネス”だった

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世界で唯一といわれるカセットテープ専門店「ワルツ」を営む角田太郎さん(49歳)。

角田太郎さん

前職は14年間Amazon(アマゾン)に勤め、責任ある仕事を担ったが40代を半ばに人生を自分でコントロールしたいという想いが芽生えた。とはいえアマゾンで過ごした時間は角田さんにとってかけがえのないものだったという。

「アマゾンってすごくいい会社なので、14年間、僕は一度も転職したいと思わなかったんですよね」。

アマゾンを離れて自分に何ができるか、考えて行き着いたのが夢中になっていた“カセットテープ”だった。

店内の様子

「独立するなら自分にしかできないこと、世界でまだ誰もやっていないことをやろうと思った。そこでふっと落ちてきたのが“カセットテープ”でした」。

音楽の受け取り方がストリーミング主流になるなかで、アナログもアナログなカセットテープ販売。それも実店舗で。となると“どう考えても成り立たないビジネス”と語るのも不思議ではないが……。そこに勝算はあったのだろうか。

そう尋ねると「起業して絶対にビジネスが成功するという確信を持っている人は、恐らく誰一人いないでしょう」と微笑んだ。

角田太郎さん

「起業した6割が1年以内に、8割は3年以内に倒産するというデータがあります。うまいことやれそうな事業計画を作ることはできても、実際は行動するまでわからない。ただ話題になるだろうという自信はありました。自分が好きだからこそ、カセットに夢中になる人が世界中にいることは知っていたし、日本のカセットテープカルチャーが世界に遅れをとっていることも理解していたんです」。

事業計画を考え始めたら、逸る気持ちがとまらなくなった。決意してからは早かったという。周囲の人にも別段、相談はしなかった。

「僕の人生ですし、世界で誰もやってないことをやろうとしているわけだから……。角田はどうしちゃったんだ!? って心配はされましたけどね(笑)。妻さえ理解してくれればいいかなと思いました」。

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退職後5カ月で店をオープン

2015年3月、アマゾンを退職。44歳だった。ひと月後には法人化し、もともと工場だったという貸し倉庫を店舗にすることを決めた。中目黒を選んだ理由はとてもシンプルなものだ。

角田太郎さん

「生まれも育ちもこの辺なんです。いい物件に巡り会えたことも大きかったですね。倉庫として貸しだされていた場所だったので賃料が安く抑えられた」。

オープンに際していちばん大変だったことは? と聞くと、苦笑する。

「とにかく値付けです。ひとつひとつ商品をパッキングして値段をつけて……これを店内すべてのカセットテープにやるんですから。妻と何日かかるの! って嘆きました。徹夜も1日じゃ足らなかった」。

そんな苦労も、今となっては笑い話だ。こうして2015年8月、お盆のど真んなかに、角田さんのお店は静かにオープンした。ホームページもSNSでの宣伝もない。なにも営業活動をしないなかでのひっそりとした開店だった。

しかし「世界で唯一のカセットテープ専門店」の噂を聞きつけ人が集まってくるのに、そう時間はかからなかった。雑誌の取材が舞い込んできたのは、店を開けて1カ月もしないころ。そこから現在に至るまで、ワルツとそのオーナーである角田さんにはメディアからの出演依頼が絶えない。

「もちろん話題性だけでは食べていけません。駅から離れたこの場所に、音楽を愛して、目的意識を持ったお客さんが日本だけじゃなく世界中から来てくれるということは本当に嬉しいですね」。

角田さんの音楽への愛情は音楽ファンだけでなく、アーティスト本人の耳にも届いている。名前を出せば驚かれるような超大物アーティストも足繁く通っているという。つまり、ワルツは結果的に大成功を収めているのだ。

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実店舗なりの価値のつくりかたを

しかし、なにかとリスクのある実店舗経営。ネットショップ最大手のアマゾンに長年いた角田さんが、実店舗にこだわったのには何か理由があったのだろうか。

「経験を活かしてネットショップを運営することは僕にとってイージーなことだったでしょう。ネットショップであれば固定費も安く抑えることができ、リスクは少ない。でもネットショップだったら、今頃、店はとっくになくなっていたんじゃないかと思います」。

例えばカセット一つひとつにアマゾンのような詳細な商品ページがつき、豊富な品揃えを誇ったとしても、そのネットショップは儲かるだろうか。

角田さんの答えは「NO」だ。直接、足を運び、目で見て触って、耳で聴いて……「ワルツ」がカセットテープの豊かさを体感できる場所だからこそ、人が集まるのだという。そして角田さんの美意識と愛情が伝わるこの場所を介在するからこそ、カセットテープはまた人の手に渡っていく。

「アマゾンが実店舗を潰した……なんて言われることもありますが、僕は実店舗には実店舗なりの価値の出し方があると思う。実際、ワルツは実店舗だからこそグッチ プレイスに選ばれたり、感度の高い方に訪れていただいたりしています。僕はワルツで、現代の実店舗の価値のつくり方の成功事例を示したいんです」。

実店舗での販売にこだわったからこその化学反応、そして角田さんなりの「実店舗での価値のつくり方」があったからこそ、無謀なビジネスモデルと思われたワルツは世界のカセットテープカルチャーの中心となりえたのだ。

角田さんは自身のビジネス継続が今後のカセットテープ自体の価値を左右するという、大きな責任を抱えながら日々の仕事に向き合っている。

「ビジネス的に注目を集めてひと儲けしようなんてまったく思っていないんです。なにより大前提にあるのは、好きだから。それだけです」。

常に落ち着き、冷静に自身を俯瞰している印象の角田さん。そんな彼が胸を熱くするカセットテープの底知れない魔力は、これからも人々を虜にし続けるのだろう。

 

藤野ゆり=取材・文

# 37.5歳の人生スナップ# Amazon# カセットテープ専門店# 音楽
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