37.5歳の人生スナップ Vol.47
2019.03.03
LIFE STYLE

ヤンキー、引きこもりを集めて起業。自殺未遂の末に行き着いた人生観とは?

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“走馬灯”とは、今際の際に薄れゆく意識のなか、これまでの人生のシーンが一気に駆け巡る臨死体験のこと。その真偽はさておき、よっぽどのことがなければ、若くして走馬灯を見ることはそうそうないはずだ。

そんな死の直前の走馬灯によって人生を180度変えた男がいる。現在、IT 企業「フリースタイル」で代表取締役を務める青野豪淑さん(41歳)だ。

「IT全般の業務を担っていてインフラ、車の純正ナビ、エレベーターのシステムなど、最近はゲームアプリの開発も行っています」。

年商は7億円。スタッフは150名程の大所帯。とはいえフリースタイルは普通のIT企業ではない。青野さんがヤンキーや引きこもりを集め、その更正を目指して立ち上げた企業だからだ。

名古屋を拠点とするフリースタイル。2006年に起業し、創業13年目を迎える。

「起業したキッカケは、格好良く生きたいと思ったからです。自分にとっての“カッコイイ”ってなんだろうと考えて、まずは目の前にいる人を助けていくことから始めようかなと。それが今日の会社へ繫がっています」。

そう話す表情は明るく、闊達な印象を受けるが、青野さんは26歳のときに自殺を考えた過去を持つ。“カッコイイ”を目標に生きるまでの波瀾万丈な人生に迫った。


一家で夜逃げ…… すべての目標は“金”だった

大阪で6人兄弟の末っ子として産まれた青野さんは、貧しい家庭で育った。両親は喧嘩が絶えなかった。ときに口論だけではなく殴る蹴るの流血沙汰に発展することもあったという。

「喧嘩の原因はいつも“お金”でした。父は酒と賭け事が好きで、すぐ給料を使い果たしてしまうような人。だから僕は社会に出たら絶対、金持ちになってやると思っていました。金さえあれば幸せになれると本当に思ったんです」。

毎日のように現れる借金取り。小学6年生のときには家賃滞納の末に一家で夜逃げ…… という壮絶な過去を持つ。そんな日々のなか、“お金”への憧れが強くなっていくのは当然のことだった。高校卒業後、20代前半までは住宅や羽毛布団などの営業職を転々としたという。

「やる気は人一倍あったので、どの職場でも成績は良くて、月収が100万を超えることもありました。休日はセミナーに通って話し方や営業のノウハウを学んでいましたし、カーネギーやらナポレオン・ヒルやらビジネス本を何百冊と読みました。自己投資にかける費用は惜しまなかったですね」。

青野さんが社会人になってお金を稼ぐ喜びとともに活路を見いだしたのは、“成功”のための学びだった。

「当時は、そんな自分に酔ってたんですよ。たくさんの経営者に直接会いにいって“成功したいんで話を聞かせてください!”って頭下げたりしていました。成功者になりたかった。すべては金のためでした」。

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借金4000万……絶望の淵でみたもの

しかし熱心な“自己投資”は、いつしか度を越えたものとなっていた。

「セミナーのためだけに毎週地方に行ったりしていたので、どんどん借金が増えていきました。でも自分は日々成長しているし、努力もしてるから、借金まみれになってもすぐ巻き返せる……。そう高をくくっているうちに借金が4000万を越えていたんです」。

金利によって膨れ上がった借金は、到底返せる額ではなくなっていた。仕事に本腰を入れるも、焦りに駆られて成績は落ちていった。成功を目指していたはずが…… 26歳だった青野さんは絶望した。

「地道に返す計算をしたら、完済できるのは70歳。電気も止められ、お風呂も入れず……。もう死んだほうがいいやと思いました」。

自殺場所に選んだのは、小6まで家族で過ごした団地だった。しかし死の直前、走馬灯を見たことで踏みとどまったという。

「浮かんできたのは、お客さんへの感謝が足りなかったことや自分のためにしか行動してこなかった…… そんなダサい生き方をしてきた自分のことばかりで、改めて自分は正真正銘のクズだと感じました。なぜもっと人のために行動できなかったんだろうと。そんなとき、死んだつもりで、もう一度やり直そうと思いました。私なりのやり方で、人のために生きていこうと思ったんです」。

結局あの世には金も名誉も高価な買い物の数々も、持っていけない。あるのはただ、ダサいか、カッコイイ生き方をした自分だけ。自殺を思いとどまった青野さんは、今後はお金ではなく、自分のなかの“カッコイイ”生き方を目指そうと決意した。

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ヤンキーやひきこもりを集めた会社を起業

ダサいことはやめて格好良く生きる。そんな想いのもと青野さんが始めたのは、人助け。周囲のヤンキーや引きこもりを更生していくことだった。家庭環境に問題があると感じれば遠慮なく家に乗り込んで話をした。次第に青野さんのもとにはヤンキーや引きこもりなど問題のある若者が集うようになったという。

「その中のひとりに『青野さんが社長になってくれれば、僕らはクビにならないのにね』って言われて、確かにそれはそうだと感じたんですよ。それが会社設立のきっかけになりました」。

2006年、28歳で起業。営業力に長けたヤンキーと、パソコンの知識を持つ引きこもり。彼らの特性を考えた結果がIT事業だった。結果的に、人のために行動することは、青野さんの人生の幸福感も増やすこととなった。

「カッコイイを追求して生きると、自分のことが好きになれるんですよ。それが自信にも繫がるし、人も自然と集まるようになる。カッコイイの定義は人それぞれですが、人のために生きれば幸せになれるということがわかったんです」。

フリースタイルを創業して、はや12年。多くの若者を立派な社会人に育て上げた一方で、悔しい思いも少なからず経験してきている。

「最初は人を変えたい、と思ったけど、人はそう簡単には変われない。稼ぐ知識だけを盗んで、僕のもとを去っていった人間もたくさんいます。結局、自分自身で変わるしかない。悩んだ時期もあったけど、そもそも人を変える…… それ自体が傲慢な考えだったと最近は気づきました」。

それでも、自身の思う“カッコイイ”の追求をやめたわけではない。

「世のため人のために。そう願っても、必ずしもすべてが良い結果に繫がるわけではないかもしれない。それでも僕は、お金や欲望や周りの価値観で目標を設定するのではなく、自分のカッコイイ”を目指して生きていきたいと思っています」。

人生の正解はなかなか見つからない。それでも、カッコイイ生き方を続ければ、少なくとも自分を好きでいられる。自分自身に恥じない生き方を。青野さんは次に見る走馬灯が、自身の“カッコイイ”で溢れていることを願っている。

藤野ゆり(清談社)=取材・文

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