37.5歳の人生スナップ Vol.38
2018.12.30
LIFE STYLE

好きを仕事に。遅咲きの人気ヨガ講師が示す“意志”の大切さ【前編】

連載「37.5歳の人生スナップ」
人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。

「やりたいことが、なかなか見つからない人生でした」。

ヨガインストラクターの浅野佑介さん(38歳)は、穏やかな声でそう語り始めた。

地元である茨城を拠点として全国でヨガ指導を行う浅野さん。引き締まった肉体と爽やかな笑顔。女性ファンも多いそうだが、男性限定の「男ヨガ」を定期的に開催したり、同テーマで書籍も出版している「男ヨガ」のスペシャリストでもある。

「今はヨガスタジオと契約して週数回のクラスを持つほかに、市が主催する公共施設でのヨガ講座、あとはスタジオを借りて不定期で自分のクラスを主催したりしています」。

そんな浅野さんがヨガと出会ったのは29歳のとき。遅咲きの「やりたいこと探し」が実を結ぶまでのストーリーに迫った。


3カ月で売上ゼロ…最下位だった営業マン時代

今でこそ自身のやりたいことを見つけて活躍する浅野さんだが、社会人のスタートは順風満帆とは言い難いものだった。新卒で就いた仕事は自動車のディーラー。地元、茨城での営業に明け暮れた2年半、成績はなんと最下位だった。

「毎年、1年間の総売上が棒グラフになって前に出されるんですけど、名前が伏せてあっても自分だってわかるぐらい、常に成績は最下位でした。3カ月で1台も売れなかったときは、先輩から『もう諦めて買え』と言われて、自腹を切ったこともあります(笑)」。

24歳にして買った車は350万円。当時はなぜ自分だけが売れないのか思い悩んでいたが、今になって思えば、その理由は明白だった。

「振り返ってみれば、自分は車にそこまで情熱がなかったんですね。ドライブが好きな程度で、性能やエンジンにまで興味がわかなかった。お客さんになにか聞かれても答えられないし学ぶ意欲も薄かったので、そりゃ売れないですよね……」。

そんな葛藤を抱えつつも、我慢の日々は続いたが、よく面倒を見てくれていた先輩に言われたひと言がガツンと効いた。

「『浅野のこと好きだからこそ言うけど、もしかしたらこの仕事向いてないんじゃないか?』と言われて。今思うと、よく言ってくれたなって先輩には感謝していますけどね」。

図星だったからこそショックだった。どこかで、ムリをし続けているのは自分でもわかっていたのだ。その頃は毎日疲れが取れない日々が続いていたという。

「そこまで好きじゃないものを仕事にしてしまったから、ダメだったのかもしれない。今度は本気で、自分が好きなことを仕事にしようと思いました」。

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ビリ営業マンから1日100万円を売り上げるトップ販売員へ

自分がもっと情熱を注げるものは何か? そう考えた浅野さんが行き着いた結論は、「スポーツ」だった。3歳から12歳までは水泳、中高ではサッカー部、大学時代はボクシングジムに通うほど、浅野さんは無類のスポーツ好き。ボクシングはプロを目指すほど打ち込んだ時期もあったという。

「これを言うのは恥ずかしいんですが、大学時代、街で絡まれたことがあったんです。正直怖かったし、何もできない自分がすごく悔しかった。それで、強くなりたい! と思ってボクシングを始めました。単純なんです(笑)」。

食事制限をして体重を落とし、ボクシングジムに通い詰める日々を送った大学時代。大学生活を謳歌する周囲とは対照的に、浅野さんは「運動ばかりしていた」と苦笑する。ハマるととことん打ち込んでしまう性質は、趣味のサーフィンにも当てはまる。20代の頃は1日7時間、海に入る生活をしていたこともあったようだ。

「サーフィンって軟派でチャラついたスポーツというイメージを持っていたんですけど(笑)、社会人になる直前に友人に誘われて一本波に乗ってみたら、もう最高だった。初めてサーフィンをしてから1カ月、ずっと海に入っていたぐらいです」。

体を動かすことに関して、自分はなんでも楽しめる。そこで浅野さんが転職先にしたのが、スポーツ用品の販売員だった。地元のショッピングモールのなかにある大型スポーツ用品店での働きっぷりは、これまでと大きく異なるものだった。

「イオンモールのなかで接客のロールプレイングコンテストがあって、各店舗から代表が200人ぐらい集まるんです。要は誰が接客がいちばんうまいかを決める大会なんですけど、予選から決勝まであって、僕は社員になって4年目、その大会で優勝しました」。

「好き」か「好きじゃない」か、その違いがここまで仕事の結果に差を生むことに何より驚いたのは浅野さん自身だろう。

「自分に会いにお店に来てくれるお客様もできたし、当時流行っていたロデオボーイだけで1日100万円売り上げたこともありました。お店でも頼られるようになって、前職とは一気に環境が変わったんです」。

万年最下位の営業マンだった浅野さんが、接客コンテストで優勝できたのは、一体なぜだったのか。そこには前職での失敗や経験もさることながら、好きだからこその打算のない接客姿勢が影響していた。

「走るのが好きだったので、入荷する靴はすべて足を入れて試しました。だからお客さまに何を聞かれても履き心地からクッション性、曲がりやすさまで答えられるんですね。サプリメントも好きだったので、店にあるものはすべて飲んで、味や飲みやすさを正確に伝えることができたんです。体に良かったかはわかりませんが(笑)」。

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ヨガとの出会いが人生を変えた

そんな浅野さん、スポーツ用品でトップ販売員として働くうちに、徐々に現場から管理側のポジションになりつつあった。それは一般の会社であればごく自然のなりゆきで喜ばしいことでもあったが、浅野さん自身は違和感を覚えていたという。

「売る側から、売り方を指導する側になってお店に立つことが少なくなっていった。でも僕は、お客さまと話してる時間がすごく好きだったんですよ。『浅野さんいますか?』ってわざわざ会いに来てくれるお客さまもいるのに、手が離せないから……とほかの人が行くことが増えて、このままでいいのかな? って」。

優秀な販売員である浅野さんが1人の客にかかりきりになることは効率的ではない。会社の理屈は当然だったが、浅野さん自身のストレスは体にも如実に現れた。

「ヘルニアになってしまったんです。その頃は海のすぐ側に住んでいたので朝、サーフィンをしてから会社に行くような生活を送っていた。サーフィンが原因だとは思いますが、今になってみると、ストレスもあったのかもしれません」。

歩くのも困難なほどの痛みに悩まされ、当然、仕事にも支障をきたした。薬を飲み、整形外科、整体院、鍼……腰にいいとされることはすべて試したが、症状はなかなか改善されなかった。

「5分で歩けるような道を30分かけて歩いたこともあります。もう良くなるなら何でもいいから試したいと思っていました。そこで出会ったのがヨガだったんです」。

ヨガを始めたことで、すぐに身体が軽くなり精神的な落ち込みも改善される感覚があった。サーフィンを継続するために、ヨガも習慣的に生活に取り入れるようになった。

しかし、サーフィンによって今度は鼓膜が破れてしまい、2カ月サーフィンは禁止に。浅野さんはそれでも前向きな姿勢を崩さなかった。

「僕、身体の不調は転機のサインなのかなって思うようにしているんです。毎日サーフィンをやっていた時間が暇になってしまった。じゃあ、どうしようって考えるタイプ。それでヨガの指導者養成講座という広告がたまたま目に入ったので、この機会にやってみようかなと思いました」。

「そう思わないと、やってられないじゃないですか!」と言って笑う。その明るさ、すぐに気持ちを切り替えられる力が、浅野さんの人生を強く後押ししているようだ。

29歳にして、怪我をきっかけにヨガと出会った浅野さん。そこから10年足らずで現在のようなインストラクターとして活躍するに至るまでには、どんなストーリーがあったのか? 続きは後編で語っていこう。


藤野ゆり=取材・文


# 37.5歳の人生スナップ# ヨガ
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