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2018.11.27

ライフ

“負けず嫌い”がゆえに、東京パラリンピックを目指すことになった男【後編】

前編の続き
パラスポーツに出会い、前向きさを取り戻した小林幸平さん

36歳、妻の影響でバドミントンと出会う

パラスポーツに出会い、前向きさを取り戻した小林幸平さん(39歳)。
車いすバスケットボールに打ち込むためにも、障害者職業能力開発校に通い、ブリヂストンに入社することになった。しかし、練習が忙しく、仕事が中途半端になることへの後ろめたさを感じるようになり、夢中になった車いすバスケを引退することを決める。
会社員とアスリートという両立の難しさを痛感するなか、36歳で車いすバドミントンを始めたのは、妻・悦子さんの影響だった。

「妻の練習相手になるうちに、競技のおもしろさにどんどんハマってしまいました」。
実は悦子さんも車いすバドミントンの選手。以前は車いすバスケの選手として活躍し、日本代表に選ばれた経歴をもつ。
「交通事故に遭った後、最初に車いすバスケを観に行く機会があったときに、僕を迎えに来てくれたのが妻でした」。
数年後、本気で車いすバスケに取り組むことを決めたときも、いつも先に練習場所にいたのも、悦子さんだった。
「いつ体育館に行っても先にいて、シュート練習してたりするんですよ(笑)。真剣で、熱意があって、バスケのことをいろいろ教えてもらうなかで、距離が縮まった感じです」。
照れくさそうに話す小林さんだが、言葉の端々から悦子さんへの愛が伝わってくる。妻と二人三脚で、今度は車いすバドミントンの世界に魅了されることになったわけだ。
「それまでバドミントンって見たことしかなくて、正直少しなめてたんです(笑)。バスケもできたから、すぐにできるだろうと」。
先にはじめていた悦子さんの練習に付き合ったことで、すぐにそれが甘い考えであったことがわかった。練習相手にすらなれない悔しさから猛練習を重ねた。
「車いすバドミントンって、駆け引きの世界なんです。どこに打つか、自分の戦略も重要だし、相手がどこに打ってくるか読めても技術が伴っていなければうまくいかない。これまた負けず嫌いの心に火がついてしまいました」。


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