2020年、夫婦でパラリンピックを目指したい
そこから小林さんは本気で車いすバドミントンにのめりこみ、大会で勝利を重ねるようになる。一方、仕事の合間をぬって練習に取り組む小林さんの努力を見て、上司も後押しをしてくれるようになった。
一度は諦めた会社員とアスリートの両立を、会社が可能にしてくれたのだ。車いすバドミントンが2020年からパラリンピックの正式種目になったこともあり、さらにその熱は加速した。
「夫婦で2020年東京大会の出場を目指したいと思いました」。
とはいえ、小林さんが車いすバドミントンをスタートしたのはほんの3年前。パラリンピックまで時間も限られているなかで、競技を始めた時期が遅いことへの不安はなかったのだろうか。
「自分はできないって、あんまり思わないんです。そこが強みかな。まずはやってみようっていうのは、常に自分のなかにありますね」。
競技参加の年月や年齢に左右されないのは、パラスポーツの特徴でもあると小林さんは言う。健常者の場合、オリンピックを目指すほどの選手は幼い頃からその道を進む人がほとんどだが、障がい者は、社会復帰後に競技をスタートする人も多いため、可能性に満ちている。
「諦めなければ、障がいが重くても経験が短くても、勝てる可能性がある。自分の限界を決めずに楽しめるし、長く活躍できるのがパラスポーツのいいところです」。
積み重ねたものがあれば、いつかうまくいく日がくるパラリンピック強化選手となった現在、当然視野にいれているのは2020年の東京パラリンピック。そのために、今は毎日、車いすバドミントンと向き合っている。年齢を重ねてくると、なかなかひとつのことに夢中になり続けることが難しいと感じる人は多いが、熱中し続けるためのコツはどこにあるのだろうか。
「同じことをやるにしても、意識を変えながら行うことでしょうか。例えばコートの奥に打つ、という同じメニューでも、相手を騙すように打つのか、自分が決めるために打つのかでは全く違う。同じことの繰り返しにみえても意識を変えるだけで、新たな発見があります」。
パフォーマンスを向上させるために、毎日の体温や食べたもの、練習時の気づきなどスマホのアプリを使ったメモは欠かさない。常に自身の日常のサイクルを見直し、戦略を練っているという小林さん。「できることがあれば、なんでも試したい。取りこぼしたくない」と語る貪欲さも、強さの秘訣なのかもしれない。
「10年後、20年後を見据えて、舞台に立ち続けたいです。一度は諦めた、会社員でありアスリートであり、という二足のわらじをはかせてもらえる会社には感謝していますし、仕事はもちろん、選手活動を通じて、会社に還元できる人間になりたいと思っています」。
うまくいかないときはどんなに無理をして頑張っても、うまくいかない、と小林さんは言う。それでも積み重ねたものがあれば、いつか、ふとしたタイミングで、物事が好転し始めるときが必ずくる。
「どんな状況でも自分が今できることを、ただ一生懸命やるだけだと思います」。
“諦めの悪い”小林さんの人生哲学は、人生の好機をただ待つだけではダメなのだと教えてくれる。苦しいときも、絶好調のときも、目の前のことを精一杯こなすことが、いつか大きな勝利に繫がる。
2020年に控えた大舞台で、小林さんは妻・悦子さんとともに、それを証明してくれるのではないだろうか。
小島マサヒロ=撮影 藤野ゆり(清談社)=取材・文
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