看板娘という名の愉悦 Vol.4
好きな酒を置いている。食事がことごとく美味しい。雰囲気がよくて落ち着く。「行きつけの飲み屋」を決める理由はさまざま。しかし、なかには店で働く「看板娘」目当てに通い詰めるパターンもある。もともと、当連載は酒を通して人を探求するドキュメンタリー。店主のセンスも色濃く反映される「看板娘」は、探求対象としてピッタリかもしれない。
北九州といえば“荒れる成人式”。少々やんちゃなイメージが強い。しかし、女性の北九州弁はよい。語尾に「ち」「ちゃ」を多用し、印象は博多弁よりキツいのだが、その分オトコ心をざわざわさせる。
東京・西荻窪の和食割烹に、東京生活も長いのに北九州弁が抜けない看板娘がいると聞いた。
JR西荻窪駅南口を出てすぐ。2階への階段を上がる。
看板娘の名前はチダトモコさん(36歳)。飲み屋の仕事は初めてとあって右往左往することも多いが、持ち前の明るさで常連客の支持を得ている。
マスターが1年半前にこの店をオープンさせるにあたり、奥さんの同僚であるトモコさんに「週1でいいから手伝ってくれないか」と頼んだそうだ。
さっそくオススメの一杯を聞くと、「常連さんに人気のお酒がありますよ」。
マスター特製の緑茶ハイを島根のメーカーが作っている「パスチャライズ牛乳」で割ったものだという。
あ、これは飲み過ぎて酔うやつだ。そして、お通しの「ごぼうと新玉ねぎのすり流し」がしみじみと美味しい。
「お茶ミルクは、あちらのヒデさんが考案したんです」
マスターの中川卓也さん(39歳)は、和食の板前として大阪と東京で修行。満を持して、ここ西荻窪に自分の店を出した。「なない」はお母さんの名前だそうだ。
彼は先ほどのお通しを「雪が溶けて川になって土が潤うイメージ。そんな季節でしょ」と表現する。料理人は詩人でないといけない。
「鯖のさしみ」が気になる。生で食べていいんだっけ?
手前が浅く締めた鯖、奥がとろっとろのさしみ。これはすごい。条件反射で日本酒を注文する前にトモコさんの裏の顔を聞いてみると、北九州時代の中2からずっとバンドをやっているという。
「2000年からは『ファズピックス』っていうバンド名で活動していて、あ、これ出たばっかりのCDです」
アサギマダラは海を渡る蝶として知られている。2月18日に渋谷LUSHで行ったライブの写真も見せてくれた。
先ほど聞いた「中川さん、お通し300円でしたっけ?」「サンゴー」というやり取りからは想像もつかない凛とした立ち姿だ。
さて、日本酒をいただきます。何がいいですかね?
トモコさんが「こないだ飲んで美味しかったから、『写楽』にしましょうか」と言うので、「どんな感じですか?」と聞くと、「爽やかと思いきや、飲んでみたら意外と喉にまとわりつくというか……」。
ミュージシャンならではの表現だろう。
うん、骨太でしっかりとした味だ。喉にまとわりついた気もする。
ここで、別の客から宮城の銘酒『山和』のオーダーが入った。すかさず、中川さんが「ピンクの『山和』だからピンドンならぬピンヤマね。この時期だけのお酒で食中酒にピッタリ」と解説。
しかし、トモコさんが苦戦している。
北九州弁! 気を張っている接客時には聞けなかったが、夢中になるとポロっと出るのだろう。
それにしても、方々から「トモちゃん」「トモちゃん」と声がかかる。すでに、何杯かご馳走してもらっているようだ。「新しいお猪口を持ってきて」と言う常連さんに、「いい、いい、まだ入っとるけ」。北九州弁がまた飛び出した。
「でも、こんな取材の日によく偶然来てくれましたね」と言うトモコさんに、隣の女性がスマホの画面を見せる。「何言ってるの。中川さんから聞いて応援しに来たのよ」。
その女性が飲んでいる日本酒のラベルには、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という読み人知らずの俳句がプリントされていた。中川さんによれば、「愛知の丸石醸造の『萬歳』というお酒です」。
ちなみに、ベランダからはアーケード街の人の往来が見下ろせる。暖かくなったらここで風に吹かれながら杯を傾けるのも良い。
じつはスマホの充電が切れそうだったが、なんとカウンターの下にコンセントがあった。「なんでこんなところに?」と中川さんに聞くと「今日の取材用に付けました」とサービストーク。
さて、締めの一杯は中川さんの思い出のお酒にしよう。彼が持って来たのは大阪・池田の銘酒「呉春」。
「大阪時代はよう飲んでました。懐かしい酒ですね」
さて。最後にトモコさん、直筆メッセージを。
読者へのメッセージかと思いきや、そこにいた人たち全員の似顔絵だ。いやあ、今回も「ザ・看板娘」に出会えました。
【取材協力】
和食なない
https://twitter.com/washokunanai取材・文=石原たきび