What’s AIR JORDAN Vol.7
2021.01.13
FASHION

「エア ジョーダン」歴代の足跡。ドリームチームからジョーダン2度目の引退まで

「What’s AIR JORDAN」とは……

「エア ジョーダン」という靴が持つ特異な魅力。それを掘り下げるうえで、1992年は特別な年となる。そう、あの“ドリームチーム”でマイケル・ジョーダンが背負った9番の「エア ジョーダン」が世界にジャンプした年だ。

それから2度目の引退を表明する1999年まで、“ふたつのジョーダン”の軌跡を追う。

エア ジョーダン 1〜2「名作が持つ光と影」
エア ジョーダン 3〜6「大きく変わった運命」

エア ジョーダン 7(1992年)

オリンピックの舞台へ羽ばたいた「エア ジョーダン」

「エア ジョーダン 7」が登場した1992年は、NBAの2連覇を成し遂げたマイケル・ジョーダンにとって飛躍の1年となる。

2016年のリオデジャネイロオリンピックを記念したスペシャルバージョン。

同年には、マイケル・ジョーダンが伝説の「ドリームチーム」の一員としてバルセロナオリンピックに参加したことから、第4弾として“オリンピックカラー”が登場している。このモデルは独特の色使いに加え、ヒールにはジョーダンの代表選手としての背番号「9」が入っている。

オリンピックモデルは左右非対称の配色であることが特徴として挙がる。

大舞台での活躍を支えたシューズだけあって、機能のアップデート面でも特筆すべきものがあった。ティンカー・ハットフィールドは1991年に「エア ハラチ」で採用していたシュータンとアッパーを一体にした「ハラチ システム」と呼ばれる設計をこのモデルにも取り入れ、フィット感を格段に高めることに成功。

着脱とフィット感を高めたナイキの独自構造「ハラチ システム」を採用。

ワーナー・ブラザーズの人気キャラクター、バッグス・バニーを起用したプロモーションも「エア ジョーダン 7」を大いに盛り上げた。

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エア ジョーダン 8(1993年)

NBA3連覇、そして初の引退まで愛用したモデル

ナイキのロゴが一切入らない屋外用バスケットボールシューズ「エア レイド」のクロスストラップを採用した「エア ジョーダン 8」は、1993年にマイケル・ジョーダンが初のNBA3連覇を達成したときに着用していたモデルであり、オリジナルには3種類のカラーが存在した。

2015年に発売した3足のうち、こちらはブルズ3連覇達成時の対戦チームのカラーを取り入れている。

「エア ジョーダン 7」に引き続き、プロモーションではバッグス・バニーを起用。1996年に公開された映画『スペース・ジャム』では、マイケル・ジョーダンとバッグス・バニーは競演も果たしている。

順風満帆かと思われていた矢先、不慮の事故で父親を失う悲劇がマイケル・ジョーダンを襲う。これをきっかけにジョーダンはコートを去り、幼少期からの夢であり、亡き父親との約束だったMLBへの挑戦を表明した。

テーピングから着想を得たというティンカー・ハットフィールドが考案したクロスストラップ。

ティンカー・ハットフィールドは彼の復帰を待つかのように新たな「エア ジョーダン」のデザインに着手。そして、1994-1995年シーズン途中からジョーダンは、「エア ジョーダン 10」を履いてNBAに復帰した。

エア ジョーダン 11(1995年)

オフコートでも活躍したパテントレザーのバッシュ

1995年、“究極のシューズを手掛けたい”というティンカー・ハットフィールドのデザインに対する限りない情熱ととともに、「エア ジョーダン 11」は鮮烈なデビューを果たした。

オリジナルを忠実に再現した復刻版「エア ジョーダン 11」。

このモデルが“伝説のバッシュ”となった大きな要因に、マイケル・ジョーダンの要望からアッパーにパテントレザーを使用したことが挙げられる。

そこには2つの理由があった。ひとつは、パテントレザーによって前足部をシューズに固定させることで素早い動きを可能にすること。もうひとつは“オフコートでも履けるシューズ”にするという目的であった。

爪先からヒールまで覆うパテントレザーのデザインは瞬く間に人々を魅了した。

マイケル・ジョーダンの目論見通り、新たな背番号「45」をヒールに刻んだ「エア ジョーダン 11」は、コートの内外で無類の活躍を見せた。

彼を支持する多くのバスケットプレーヤーに愛用されると同時に、ジョーダンがドレスシューズ代わりにフォーマルなイベントで着用する姿に人々は共感を抱いた。ハイカット以外にも後発でローカットを展開したことも興味深い。

スニーカー史に残るエポックメイキングを起こした「エア ジョーダン 11」の功績は計り知れない。ここからマイケル・ジョーダンは、2度目のNBA3連覇へ向けて走り出していく。

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エア ジョーダン 13(1997年)

「ラスト ダンス」を紡いた初のジョーダンブランド作

1997年に発売された「エア ジョーダン 13」は、ジョーダンブランド設立後に初めてリリースされたシグネチャーモデルであった。

オリジナルカラーを採用した2017年の複刻モデル。

1997-1998年シーズンは、のちに「ラスト ダンス」と呼ばれるマイケル・ジョーダンがシカゴ・ブルズに在籍した最後のシーズンにあたり、ほとんどのゲームで彼はこのモデルを着用していた。

マイケル・ジョーダンがコートで活躍する姿を“ブラックパンサー”にたとえたティンカー・ハットフィールドは、シューズの随所にユニークなディテールを落とし込んだ。アッパーの斑点模様、肉球を模したアウトソールの形状、ヒール上部のホログラムなどがそれである。

ユニークなデザインを後押しする“シカゴ”の配色。

優勝を決めるファイナルで接戦の末、ユタ・ジャズにした勝利したシカゴ・ブルズは2度目のNBA3連覇を達成。シーズン終了後の1999年、マイケル・ジョーダンは2度目の引退を表明する。

シグネチャーモデルという宿命からか、マイケル・ジョーダンと「エア ジョーダン」は運命共同体のような関係にあるのだろう。

「エア ジョーダン 13」以降、ワシントン・ウィザーズで再度NBA復帰を果たし、最後にコートで着用した「エア ジョーダン 18」までのデザインの変遷には、少なからず試行錯誤の跡が見える。

そして、ティンカー・ハットフィールドは「エア ジョーダン 15」を区切りに「エア ジョーダン」シリーズのデザイナーを一時離任する。

だがしかし、物語はここでは終わらない。

「What’s AIR JORDAN」とは……
オークションではマイケル・ジョーダン本人が着用していた「エア ジョーダン 1」が61万5000ドル(約6600万円)で落札。彼が現役引退してからも派生モデルは増殖し、比例するように熱狂的マニアも後を断たず。エア ジョーダンって一体、なんなんだ?
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戸叶庸之=編集・文 ナイキジャパン=写真
# ナイキ# エア ジョーダン# スニーカー
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