エア ジョーダン 8(1993年)
NBA3連覇、そして初の引退まで愛用したモデル
ナイキのロゴが一切入らない屋外用バスケットボールシューズ「エア レイド」のクロスストラップを採用した「エア ジョーダン 8」は、1993年にマイケル・ジョーダンが初のNBA3連覇を達成したときに着用していたモデルであり、オリジナルには3種類のカラーが存在した。
「エア ジョーダン 7」に引き続き、プロモーションではバッグス・バニーを起用。1996年に公開された映画『スペース・ジャム』では、マイケル・ジョーダンとバッグス・バニーは競演も果たしている。
順風満帆かと思われていた矢先、不慮の事故で父親を失う悲劇がマイケル・ジョーダンを襲う。これをきっかけにジョーダンはコートを去り、幼少期からの夢であり、亡き父親との約束だったMLBへの挑戦を表明した。
ティンカー・ハットフィールドは彼の復帰を待つかのように新たな「エア ジョーダン」のデザインに着手。そして、1994-1995年シーズン途中からジョーダンは、「エア ジョーダン 10」を履いてNBAに復帰した。
エア ジョーダン 11(1995年)
オフコートでも活躍したパテントレザーのバッシュ
1995年、“究極のシューズを手掛けたい”というティンカー・ハットフィールドのデザインに対する限りない情熱ととともに、「エア ジョーダン 11」は鮮烈なデビューを果たした。
このモデルが“伝説のバッシュ”となった大きな要因に、マイケル・ジョーダンの要望からアッパーにパテントレザーを使用したことが挙げられる。
そこには2つの理由があった。ひとつは、パテントレザーによって前足部をシューズに固定させることで素早い動きを可能にすること。もうひとつは“オフコートでも履けるシューズ”にするという目的であった。
マイケル・ジョーダンの目論見通り、新たな背番号「45」をヒールに刻んだ「エア ジョーダン 11」は、コートの内外で無類の活躍を見せた。
彼を支持する多くのバスケットプレーヤーに愛用されると同時に、ジョーダンがドレスシューズ代わりにフォーマルなイベントで着用する姿に人々は共感を抱いた。ハイカット以外にも後発でローカットを展開したことも興味深い。
スニーカー史に残るエポックメイキングを起こした「エア ジョーダン 11」の功績は計り知れない。ここからマイケル・ジョーダンは、2度目のNBA3連覇へ向けて走り出していく。
3/3