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2021.01.12

ファッション

「エア ジョーダン 3」で大きく変わった運命。天才デザイナーとの蜜月期

「What’s AIR JORDAN」とは……
大きな成功を手に入れた「エア ジョーダン 1」と、振るわなかった「エア ジョーダン 2」。この光と影から、ナイキは新たな一手に打って出る。
それは、のちに“天才シューズデザイナー”として名を馳せるティンカー・ハットフィールドの起用だった。ここから運命は大きく変わる。
エア ジョーダン 1〜2「名作が持つ光と影」

エア ジョーダン 3(1988年)

お馴染み「ジャンプマン」の誕生

1988年に誕生した「エア ジョーダン 3」は、「エア マックス」の生みの親でもあるティンカー・ハットフィールドが手掛けた傑作だ。
1998年に登場した4つのオリジナルカラーのひとつ。
“再現”にこだわって2016年に復刻したモデル。
当時、これまでのシグネチャーシューズに不満を抱えていたマイケル・ジョーダンはナイキとの契約更新を渋っていたが、ティンカー・ハットフィールドの巧みなプレゼンと、「エア ジョーダン 3」の革新的なデザインに瞬く間に魅了されたという。
「ジャンプマン」の刺繍が入るシュータン。
今ではお馴染みの「ジャンプマン」のロゴが採用されたのは、実はこのモデルからだった。
“セメント柄”、あるいは“エレファント柄”と呼ばれ親しまれているデザイン、透明の窓によりエアを可視化した「ビジブル エア」などのユニークな発案は、今なお色褪せない。
“エレファント柄”も「エア ジョーダン 3」の人気を支える重要なデザイン。
マイケル・ジョーダンはこのシューズを履いて、1988年のダンクコンテストで逆転勝利した。フリースローラインからジャンプしてボールを叩き込む映像は、何度見ても鮮烈。まさにジャンプマンそのものだった。


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