「What’s AIR JORDAN」とは……「エア ジョーダン」という靴が持つ特異な魅力。それを掘り下げるうえで、1992年は特別な年となる。そう、あの“ドリームチーム”でマイケル・ジョーダンが背負った9番の「エア ジョーダン」が世界にジャンプした年だ。
それから2度目の引退を表明する1999年まで、“ふたつのジョーダン”の軌跡を追う。
エア ジョーダン 7(1992年)
オリンピックの舞台へ羽ばたいた「エア ジョーダン」
「エア ジョーダン 7」が登場した1992年は、NBAの2連覇を成し遂げたマイケル・ジョーダンにとって飛躍の1年となる。
同年には、マイケル・ジョーダンが伝説の「ドリームチーム」の一員としてバルセロナオリンピックに参加したことから、第4弾として“オリンピックカラー”が登場している。このモデルは独特の色使いに加え、ヒールにはジョーダンの代表選手としての背番号「9」が入っている。
大舞台での活躍を支えたシューズだけあって、機能のアップデート面でも特筆すべきものがあった。ティンカー・ハットフィールドは1991年に「エア ハラチ」で採用していたシュータンとアッパーを一体にした「ハラチ システム」と呼ばれる設計をこのモデルにも取り入れ、フィット感を格段に高めることに成功。
ワーナー・ブラザーズの人気キャラクター、バッグス・バニーを起用したプロモーションも「エア ジョーダン 7」を大いに盛り上げた。
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