スニーカー世代を刺激する「一足触発」 Vol.84
2020.12.15
FASHION

600足超えのコレクション。スニーカー業界の生き字引が語るプライスレスな価値

特製の棚に600足を超えるスニーカーが整然と並ぶ、好事家にとって夢のような空間がある。

高見さんのスニーカーコレクション
壁一面、スニーカースニーカースニーカー!

夫婦でこのコレクションを所有する高見 薫さんは、かつてナイキの営業担当として活躍し、日本のスニーカーカルチャー黎明期から業界に携わってきた人物だ。

話を聞いた人

高見薫●1968年生まれ、千葉県出身。1991年、ナイキジャパンに入社。1996年のナイキショップの立ち上げをはじめ、数々のプロジェクトに携わる。2016年に同社退社後、2018年にデッカーズジャパン合同会社に入社し、現在に至る。

膨大なスニーカーコレクションは、私の履歴書です

「ここにあるスニーカーは私の履歴であり、アルバムのようなものです。仕事柄で集まったこともあって、収集の参考になるようなものではないかもしれませんが(笑)」。

高見さんがナイキジャパンに入社した1990年代のスニーカーを取り巻くシーンは、今では考えられないほど混沌としていて、スニーカーが市民権を得るには程遠い状態だった。

一斉を風靡した「エア マックス 95」のオリジナル。棚から落ちてソールが破損してしまっているが、大切に保管している。

「当時はファッションとしてスニーカーを履く感覚はまだ根付いていなかったんです。街でスニーカーを履いていると“尖った人”に思われてしまうような時代でしたから。’95年に発売されたエア マックスなどの大ヒット商品はありましたけど、我々メーカーは試行錯誤の連続でした。

2000年以降は、新たな取り組みの一環として、原宿界隈のクリエイターやショップとの交流を深めるために、毎日のように原宿に通ってましたね」。

裏を返せば、スニーカーの可能性が未開発だったからこそ、次々と新しいカルチャーが生まれたともいえる。

その証拠に、ミレニアム(2000年)を記念して登場したスニーカーの多くは20年経った今、復刻という形で再評価されているわけだが、高見さんはそれらの企画に深く携わってきた。

「あの頃はホントにいろんなプロジェクトが動いていて、新しいキャンペーンが始まるたびに新しいスニーカーに履き替えるという毎日。『エア プレスト』や『エア クキニ』などの画期的なモデルも登場したのも2000年くらいですね」。

NEXT PAGE /

600足に通じる“思い入れ”という共通項

高見さんのスニーカーのコレクションはすべてマイサイズで揃っている。

ちなみに、このスニーカー専用棚は建築家の荒木信雄さんによるオリジナルだ。

「自分なりにカテゴリーを決めて並べてます。でも、特に強いこだわりを持ってコレクションしてきたわけではなく、思い入れのあるモデルが残っていって、この状態になったという感じ。

強いて特徴を挙げるなら『エア リフト』が80足ほど揃っていることですかね。これは世界的に見ても稀だと思います」。

高見さんが所有する「エア リフト」コレクションの一部。

ケニアの国旗の色から着想を得た1996年のファーストカラーから「こんな色まであったの!?」と驚くようなモデルまで見応え満点だ。

「まったく人気が出なかった配色がいくつもあって、売れ残っていた商品を買い足していたらここまで増えてしまったんです(笑)。靴紐を結ばなくていいし、遅刻しそうなときは大体『エア リフト』でしたね」。

営業職ならではのスニーカー愛が感じられるエピソードである。

NEXT PAGE /

スニーカーブームの火付け役が今、思うこと

かつてない世界的なスニーカーブームの到来について高見さんは思うことがある。

「アプリなどで簡単に商品を入手できるようになったことが要因だと思いますが、世界中の老若男女がスニーカーを履くようになって、昔では考えられない規模のマーケットが広がっています。

同時に、アメリカで開催されている世界最大のスニーカー・ストリートファッションの祭典『コンプレックスコン』、アジアの富裕層がスニーカー市場に参入したことなどの影響から、本来なら履くためのものであるスニーカーが、人に自慢するためのアイテムとして扱われる傾向が強まり……。

そこでの価値を失うとバブルが弾けてしまう可能性がある。その危惧は多少なりともありますね」。

ヒールを眺めているだけでもワクワクする。

いつしかファッションとしての市民権を勝ち得たスニーカーは、よりコレクタブルなアイテムとして、世界中を熱狂の渦に巻き込んでいる。

「同じ1足のスニーカーでも、その人にとって思い入れがあるかどうかで、所有する意味が変わってきますよね? スニーカーには、そうした感情に訴えかける魅力があるし、そこに収集の面白さがあるのだと思います。この棚にあるスニーカーはどれも、私にとって思い入れの深いものばかり」。

改めて高見さんのコレクションの一部を見せてもらった。

NEXT PAGE /

高見さんが特に忘れられない9足

左から「エア マックス BW」「エア ジョーダン 6」「エア トレーナー マックス 91」の復刻モデル。

「この3足はすべて、私がナイキジャパンに入社した年に発売されたモデルです。履き込んでダメになってしてしまったら、必ず新調するようにしています。

ちなみに以前は『エア マックス 91』というような呼び方はオフィシャルでアナウンスしていなくて、社内でも『何年に出たエア マックス』と言っていました」。

同僚や友人からスニーカーをプレゼントされる機会も多いそうで、こちらの「エア ジョーダン 4」もそれに当てはまる。

「エア ジョーダン 4」とリーバイスのコラボスニーカー
「エア ジョーダン 4」はリーバイスとのコラボモデル。

「こちらは、サンフランシスコのリーバイス本社にいる元同僚が、『高見さんの棚に置いてもらわないと困る!』と言って、わざわざ送ってくれたものなんです。スニーカーは十分持っているし、棚は埋まっている状態でしたが、彼の気持ちを汲み取ってディスプレイを組み替えました(笑)」。

市販されなかった貴重なモデルもいくつか紹介してくれた。

「さまざまなショップの立ち上げやイベントに携わってきたので、私のコレクションには関係者向けに配られた非売品もあります。ヴィンテージスニーカーのコレクターでもある芥川貴之志さんの書籍『ブルーリボンズ』の発刊を記念して彼がデザインした『ブレーザー』もそう。

グラフィカルなデザインに時代背景を感じる。出版を記念してイベントも行われた。

2007年、『エア フォース 1』25周年記念に1年間限定でHECTICと共同で裏原宿に開設したコンセプトショップ『1LOVE(ワンラブ)』の1周年記念イベントのために作られたモデルも該当しますね」。

ヒールカップに「ワンナイト」と銘打たれたイベント名のロゴが入る『エア フォース 1』の限定モデル。
イベントでDJを担当していたボビート・ガルシアのサインも忘れられない思い出のひとつ。

最後に登場するのは「エア リバデルチ」。この2足にはひと際特別なエピソードが。

ナイキACGのコレクションに属する「エア リバデルチ」の復刻モデル。

「私が営業を担当していたSOPH.の企画で『エア リバデルチ』を復刻する話が出て、最初にオリジナルカラーを出そうということになったのです。でも、調べたら木型がすでに現存していないことが判明。

そこで、私が昔、ホノルルで購入していたリバデルチをポートランドの本社に送って、解体することで製品化できたんです。

スニーカーがバラバラになってしまったので私のサイズを作ってほしいと頼み込んだところ、この2足だけレディスのサイズが生産されることになって。今となってはいい思い出ですね」。

棚の前には、ナイキ公認のリメイクブランド、ドクター・ロマネリが手掛けた椅子も鎮座する。

数百足もあるコレクションだが高見さんのなかで優劣は存在しない。どれもが思い入れ深い大切な存在なのだ。そして最後に、こう話してくれた。

「いろいろな角度からスニーカーを楽しめるいい時代ですし、情報と向き合いながら、自分が本当に好きだと思える1足を買い続けるのが、スニーカーと長く付き合っていける秘訣だと思ってます」。

スニーカーブーム黎明期を走り続けた高見さんの言葉には重みがある。

 

鳥居健次郎=写真 戸叶庸之=編集・文

# ナイキ# スニーカー# 高見薫
更に読み込む