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2020.11.03

ダットサン、ワーゲン・バス……1960年代のサーファーたちが愛した車

当記事は「FINEPLAY」の提供記事です。元記事はこちらから。
1968年、鎌倉七里ヶ浜「第3回の全日本サーフィン大会」で撮影されたダットサン・ブルーバード。
1968年、鎌倉七里ヶ浜「第3回の全日本サーフィン大会」で撮影されたダットサン・ブルーバード。多様なグレードラインナップがあり、’60年代のサーファーの多くに支持された。
電気自動車やハイブリッド車、ターボチャージャーによるエンジンのダウンサイジングや自動運転の実用化など、昔では考えられなかったほど自動車の種類や機能は多様化している。
しかし1960年代初頭には、国内外を問わず自動車の種類は限られていた。為替が当時1ドル360円の時代である。憧れの外車を手に入れることは夢のまた夢であり、限られたごく一部の人だけが乗ることのできる車であった。

オーバーヒートはつきもの

3m近い重たいサーフボードをルーフに6枚積載し、6人乗車で僕らのサーフクラブがあった鎌倉から鵠沼のビーチまでを往復した。今では考えられない光景だ。
エアコンのない車内は、夏は蒸し風呂のような暑さになる。そのため窓を全開にして走った。三角窓からの風だけが頼りだったが、それも効果があるのは走っている時だけ。停車すれば再び地獄がやってくる。オーバーヒートはつきもので、ボンネットを開けてラジエーターに水を継ぎ足しながらのドライブであった。
幸いラジオだけは「FEN」(Far East Network)が810k㎐でNHKの次に強い電波を流していたので、移動範囲内では十分にアメリカの雰囲気を感じとることができた。
トヨタ・パブリカ(写真中央左)といすゞ・ベレット(写真中央右)
トヨタ・パブリカ(写真中央左)といすゞ・ベレット(写真中央右)。空冷エンジンのパブリカは水周りのトラブルが少なかった。


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