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2020.07.22

誰もが憧れるマセラティをつくり上げたのは、3兄弟と数々のライバルだった

「車のトリセツ」とは……

3兄弟から流れるレーシングカーのDNA

1914年、アルフィエーリ、エットーレ、エルネストのマセラティ3兄弟が興した「ソシエータ・アノニーマ・オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティ」。
レースに参戦するためのマシンのチューニングを主な業務としたが、第一次世界大戦が開戦するとスパークプラグの生産なども手掛けた。戦争が終わると1926年に初のオリジナルモデル「ティーポ26」を制作。
このときグリルには、ブランドの象徴である三叉の銛(もり)、いわゆるトライデントのバッチが装着された。
写真はインディ500でイタリア車初のタイトルを獲得した「8CTF」に飾られていたロゴ。創業の地であるボローニャのマッジョーレ広場に置かれたネプチューン像が持つ銛、また赤と青はボローニャ市の旗からインスピレーションを得ている。
「ティーポ26」以降も数々のレーシングマシンを開発し、アルファロメオやフェラーリなどと覇権を争って名を轟かせたマセラティだったが、経営的には厳しく、モデナの実業家アドルフォ・オルシからの援助を仰ぐことに。
その際に本社もボローニャからモデナへと移転。現在もマセラティの中心であるモデナ工場は、1940 年1月1日に始動した。その後、レースカーをメインに考えるマセラティ3兄弟と、レースのイメージで高性能車を一般販売しようと考えるオルシとの関係は悪化し、第二次世界大戦が終わって間もなく、3兄弟はマセラティを去った。
兄弟が去ったあともF1でフェラーリと激戦を繰り広げるなど、1957年までレース活動は続ける一方、オルシの指揮するマセラティは市販車部門へ本格的に進出を狙い、高級スポーツカーメーカーへと舵を切る。
1947年、マセラティは初のロードカーである「A6 1500」を発表。その後もスポーティなイメージのクーペやオープンカーを作り、1963年にはマセラティ初となる4ドア車「クアトロポルテ」をデビューさせる。
当時のメルセデス・ベンツのSクラスなどが競合となるモデルだ。今でもマセラティのフラッグシップであるこの一台が、同社のラグジュアリーブランドとしての価値を生み出したといっても過言ではないだろう。
初代「クワトロポルテ」。日本にも数台が輸入されたという。車名の「クワトロポルテ」とはイタリア語で「4ドア」の意味。
また1966年には、名匠ジョルジェット・ジウジアーロのデザインによる「ギブリ」が登場。
当時のライバル車フェラーリ「デイトナ」やランボルギーニ「ミウラ」に対し、性能的にも決して引けを取らず、マセラティのヒット作となった。
初代「ギブリ」。当時流行っていたスーパーカーを目指し、背の低いプロポーション、ロングノーズ、ショートデッキ、リトラクタブルヘッドライト、ファストバックスタイルが採用された。最高速度は265km/h。このあとも「ボーラ」や「メラク」といったスーパーカー世代憧れの名車を開発した。


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