
1992年に大阪で誕生した「フルカウント(FULLCOUNT)」は、当時レプリカデニムブームを牽引したブランドだ。
2000年代に入ると流行は徐々に落ち着きを見せ、デニムシーンではデザイナーズモデルが台頭。スキニータイプを筆頭に、モード感溢れるアイテムや着こなしが人気を博した。
あれから何度目かのデニムブームを迎えた現在、フルカウントとGDCがタッグを組み注目を集めている。今回は両ブランドのキーマンを迎え、トレンドが大きく変化した2010年以降から現在までのデニムシーンについて、デニムの作り手&スタイリストの立場から語ってもらった。
熊谷隆志(くまがい・たかし)●スタイリスト、フォトグラファー、「GDC」クリエイティブディレクター。国内外のファッション誌や広告を中心に活躍し、数々のブランドディレクションも手掛ける。ヴィンテージを現代的に昇華する審美眼と、時代を捉えたスタイリングで幅広い支持を集める。
辻田幹晴(つじた・みきはる)●1992年創業のデニムブランド「フルカウント(FULLCOUNT)」代表。創業以来、ジンバブエコットンを用いたはき心地に優れたデニム作りを追求し、日本製デニムの魅力を世界へ発信。現在は国内外約250店舗で展開するブランドへと育て上げた。
90年代レプリカブームの熱狂の中で見据えていた“その先”
――90年代、フルカウントを筆頭に、国産のデニムブランドが一大ブームに。シャトル織機を使って作られるクラシックなセルビッチデニムは、目の肥えたアメカジマニアを中心に絶大な支持を獲得し、古着やスニーカーなどと並び一大ムーヴメントとなりました。当時の率直な感想をお聞かせください。
辻田さんはここ数年、ライトブルーの色味と、低オンスで肌触りもソフトなデニムが気分であるという。
辻田「正直、売れすぎて怖かったですね。めちゃくちゃ流行るとすぐに廃れるじゃないですか。このままブームが終わったら、絶対にブランドが続かないと思い、90年代当時から海外市場に目を向けつつ、日本製のデニムパンツの質の高さを知ってもらうために種まきをしていました。当時の日本の市場ではヴィンテージブームの流れもあり、メリハリの効いた色落ちやクラシックなデザインが人気でしたが、2000年代に入るとブームは完全に去っていたので、何かしなければと必死でした。シルバーやプラチナといった、ラグジュアリーな素材を使った話題性に富んだデニムを作ったりもしましたが、でもやっぱり違う。これからは物の本質を理解してもらえる時代になると思い、普通のデニムを作ろうと。色落ちもやりすぎず、はき心地にもこだわって、当たり前のことをちゃんとやろうって思っていましたね」

モード全盛期の2010年代、日本デニムは世界へ向かった
――2010年以降のデニムのトレンドについて、ファッション的な観点から教えてください。
「辻田さんと一緒にいるとデニムについて学ぶことがたくさんある」と熊谷さん。この日も熱心に質問をする姿が印象的だった。
熊谷「それまでは武骨なアメカジデニムが主流でしたが、2000年代に入るとローライズ系が人気を集めて、2010年頃からはアクネとかサンローランのスキニーとかローライズジーンズの隆盛期。一気にモードな感じになりましたよね」
辻田「そうでしたね。だから我々の業界は低迷期。でもそれ以前から、海外の色々なファッションブランドに日本製デニムの魅力を提案していたことからファッションの方にもリーチできるようになって、海外の多くのお店やブランドさんが目をつけてくれるようになりました。これは私たちが、毎シーズン展示会へ足を運んだりした、地道な努力の結果だと思っています。特に2015年くらいからはメジャーなショップが扱ってくれるようになるなど、自社のデニムが動き始めているということを肌で感じていました。あの頃で、たしか取り扱い店舗が50〜60店くらいになっていたと思います」
熊谷「2015年頃というと、現在のヴィンテージデニムのブームが少しずつ始まってきた時期でもあると思いますが、それは関係あると思いますか?」
辻田さんがはくフルカウントのデニムはヴィンテージっぽいが、はき込むにつれてこなれた表情になる薄手のもの。
辻田「少しは関係があると思いますよ。ただ、日本のレプリカデニムがヴィンテージの代替え的な立ち位置だったのは90年代まで。しかもその考えは、ヴィンテージ信奉者が多い日本国内だけでした。2015年頃における日本のレプリカジーンズの位置づけは、90年代の時とはまったくの別物だったと思います。特に海外の顧客さまは、ドレスパンツを扱うように大事にはいていらして。私は『ジーパンなんだからガンガンはいてください』って言うんですけど(笑)」
熊谷「日本ブランドのジーンズの品質の高さを知っているからこそ、大事に扱っているのかもしれませんね。なんかいい話」
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