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2026.07.31

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「クマは山神様からの授かりものです」マタギになった写真家が語る“人間とクマ”の関係性とリアル


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相次いで報じられるクマによる人身被害。東北では山中だけでなく、学校やスーパーといった市街地にもクマが出没している。 

そんななか、秋田県北部の山あいには古くからクマと向き合いながら暮らしてきた“マタギ文化”が残る。マタギ発祥の地とされる集落に移住し、自らもマタギとなった写真家・船橋陽馬さんに、マタギにとってのクマとの向き合い方や山で感じることを伺った。
話を聞いたのはこの方!
船橋陽馬●1981年生まれ、秋田県男鹿市(旧若美町)出身。写真家。2013年より北秋田市阿仁根子集落に住み、自らもマタギとして狩猟を行い、マタギの文化や山間部の人々の暮らしを記録し続けている。2026年7月、ジビエ解体や飲食、宿泊所を兼ね備えた複合施設、マタギの台所「ウヘエ」をオープン。Instagram@uhee.nekko.matagi

船橋陽馬●1981年生まれ、秋田県男鹿市(旧若美町)出身。写真家。2013年より北秋田市阿仁根子集落に住み、自らもマタギとして狩猟を行い、マタギの文化や山間部の人々の暮らしを記録し続けている。2026年7月、ジビエ解体や飲食、宿泊所を兼ね備えた複合施設、マタギの台所「ウヘエ」をオープン。Instagram@uhee.nekko.matagi

マタギとはこの土地の暮らしそのもの


秋田県男鹿半島の付け根に位置する旧若美町で生まれ育った船橋さん。東京で写真家の学びを終えた翌年、2013年から現在暮らすマタギの集落、人口100人程の阿仁根子(あにねっこ)へと移住している。

「東京の大学で写真を勉強しつつ、カメラマンのアシスタントをしていたのですが、その頃からいずれは秋田で写真をやろうと考えてました。そして実際、大震災の翌年、機会があって北秋田市に暮らすことになりました。
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それから取材で各地を回るなかでマタギのシカリ(親方)に出会って、すごく興味を持つようになったんです。この土地や暮らしのことをもっと知りたい、と2013年に根子集落に移住しました。

三方を山に囲まれた根子集落。

四方を山々に囲まれたすり鉢状の集落、根子。


マタギといえば『クマを獲る怖い人たち』ってイメージもあったけど、最初に出会ったシカリが本当に穏やかな人で。マタギという文化をすごく大切にされていて、そういう方がいることにも驚きましたね」。

はじめは写真家として根子へ移住したが、翌年には自ら鉄砲を持つようになった。

「当初はカメラを持ってマタギの方たちの猟に同行させてもらってたんですけど、ちゃんと溶け込むには時間をかけて仲間にならないといけないな、と感じたんです。それからマタギのシカリである吉太郎さんに『おまえもマタギやれ』って言ってもらえたので、狩猟免許の取得を決意しました。集団猟では役割があるので写真どころではなくなりましたけどね」。

授かったクマは自分たちで捌いていただく。

授かったクマは自分たちで捌いていただく。


「マタギ=クマを獲るハンター」と思われがちだが、実際は似て非なるものだ。マタギとは単なる狩猟者ではなく、代々受け継がれてきた生き方や精神性を体現する存在である。

「マタギはこの土地の暮らしそのものだと思います。狩猟を含めて山に親しむことも当然だし、地域の行事に参加することもそう。でも地域の人たちに、『あいつはマタギだ』と認めてもらえることで、初めてマタギだと言える気がします」。

マタギ仲間の健作さんと。写真=松浦海翔さん提供

マタギ仲間の健作さんと。写真=松浦海翔さん提供


阿仁マタギの代表的な集落は根子、比立内、打当と3つあるが、いずれも奥羽山脈に囲まれた深い山あいにある。冬は深い雪に覆われ、厳しい自然とともに営みがあった。

「今はスーパーで何でも手に入る時代になったけど、かつては山がなければ暮らせなかった。クマだけでなく鴨やうさぎ、山菜、キノコなど、すべては山神様からの恵み、授かりもの。実際、ここではクマを獲ることを“授かる”といいます。猟に行くときも山神様へお参りに行きます。クマを授かったら儀礼を行い解体し、マタギ勘定をしてみんなで平等に分けます」。



現在も少数ながらマタギは存在しているが、皆が兼業である。薬として価値の高かった熊の胆(くまのい)が直接売買できなくなってからマタギ文化は衰退したという。
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