OCEANS

SHARE

advertisement
  1. トップ
  2. ライフ
  3. 刃物振り回し、不意打ちのキス……村田らむが東京のドヤ街・山谷で体験した数奇な出来事

2026.03.31

ライフ

刃物振り回し、不意打ちのキス……村田らむが東京のドヤ街・山谷で体験した数奇な出来事


advertisement

「日常に潜む社会の闇」とは......

東京のドヤ街といえば、台東区と荒川区にまたがる山谷(さんや)のこと。時代の移り変わりとともにドヤ街としての面影は薄らいでいくが、まだ“らしさ”が完全になくなったわけではない。

四半世紀前から山谷に足を運ぶ村田らむさんは、最近でもピンチを感じる瞬間があったようだ。
案内人はこの方!
村田らむ●1972年生まれ。ライター、イラストレーター、漫画家。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教組織、富士の樹海など、アンダーグラウンドな場所への潜入取材を得意としている。キャリアは20年超え、著書も多数。自身のYouTubeチャンネル「リアル現場主義!!」でも潜入取材や社会のリアルを紹介している。

村田らむ●1972年生まれ。ライター、イラストレーター、漫画家。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教組織、富士の樹海など、アンダーグラウンドな場所への潜入取材を得意としている。キャリアは20年超え、著書も多数。自身のYouTubeチャンネル「リアル現場主義!!」でも潜入取材や社会のリアルを紹介している。

四半世紀前のドヤ街で見かけた光景

山谷とは東京を代表するドヤ街だ。ドヤ街とは、日雇い労働者が泊まる宿(ドヤはヤドの隠語)が建ち並ぶ街のことだ。
advertisement

僕が初めて山谷に足を運んだのは1999年だったと思う。そのとき既に大阪の西成には足を運んでいたが、西成に比べてずいぶん人通りが少ない印象だった。特に昼過ぎは人が少なくて、ガランとしていたのを覚えている。



ただ、ドヤ街の朝は早い。早朝5時頃に山谷に来ると、泪橋交差点を中心とした464号線と306号線(明治通り)沿いに、バンがズラッと数十台は並んでいた。そして多くの日雇い労働者が仕事をもらうために集まっていた。

そこでは労働者を集める手配師たちが「現金あるよ~現金あるよ~」と唸るように声をかけていた。それに合わせて飲食店も早朝にオープンしていて、お昼には営業を終える店もあった。

玉姫公園の周りには泥棒市と呼ばれるマーケットができていた。その名の通り、盗んできたような物も売っているのでそう呼ばれていた。軍手、タオル、ライターなどを大量に売っている人をメインに、食べ物や違法性のありそうなDVDを売っている人などがたくさんいた。そこではまだ日が昇りきらない薄暗い中、多くの人たちが活発に活動していた。



山谷で老人に話を伺っていると、「山谷がドヤ街として全盛期だったのは1964年の東京オリンピックの頃。今は見る影もない」とよく耳にしたが、なんのかんの2000年くらいまではドヤ街として機能していた。現在はほとんど手配師による労働者探しは行われていない。インターネットが普及した現在、現地で労働者を集めるシステムは時代遅れにもほどがあるのだ。

そもそも路上で日雇い労働者を集める行為自体が法律的にグレーだし、ピンハネやタコ部屋が横行していたシステムだから、なくなっても仕方がない。仕方がないのだが、少し寂しい気はする。


2/5

次の記事を読み込んでいます。