
かつて、デニムの概念を覆す独創的なアプローチで世界を驚かせたコレクションがある。それが、1999年に誕生した「Levi’s RED(リーバイス レッド)」だ。
武骨なワークウェアとしてのイメージが強いアメリカのリーバイスが、ヨーロッパの感性を融合させ、スマートかつ斬新なデザインへと昇華。その鮮烈なデビューに魅了された一人が、デイトナ・インターナショナルで広報を務める矢野考太郎さんである。
【写真15点】「プレスが20年以上愛し続けるリーバイス レッドの魔力」の詳細を写真でチェック 紹介してくれたのは……
矢野考太郎(やの・こうたろう)●大学卒業後、老舗スペシャリティストアでキャリアをスタート。デザイナーズからドレスまで幅広い知見を深めたのち、プレスに就任。現在はデイトナ・インターナショナルにて広報を担当。
流行の「外側」にいたからこそ響いた、ユーロ・リーバイスの衝撃
クチュール服を仕立てる母と、時計などの小物を愛する父。ファッションが身近な環境で育った矢野さんだが、意外にも入り口はストリートファッションだった。

「ファッションに興味を抱くのは早かったかもしれません。とはいえ、入り口は流行っていたストリートでした。当時は藤原ヒロシさんが僕らのカリスマで、彼がエルメスをつけていると聞けばエルメスに注目する、といった具合です。でも、高価で買えませんでした(笑)」
それも影響しているのだろう。アメカジの王道を辿ってきた人に比べるとアメリカのリーバイスに対しては服好きの常識として知っておく程度。むしろヨーロッパから上陸してきたリーバイスに強く惹かれていく。
アメカジど真ん中のリーバイスについては、服好きの教養として知ってはいたものの、当時はまだ距離のある存在だったという。そんな矢野さんが社会人になり、先輩から「基本は知っておけ」と指導され、真剣にリーバイスを勉強し始めた頃に出合ったのが、ヨーロッパから上陸した「リーバイス レッド」だった。

「USリーバイスも持っていましたが、本気で向き合い出したのは先輩に指導されてからです。最初にストリートやデザイナーズから入った分、リーバイス レッドが自分にはハマりやすかったんだと思います」。
1999年に発表されたリーバイス レッド。2000年に日本で発売されるという噂を聞きつけ、バーニーズ ニューヨークへ何度も問い合わせた。そこで手に入れたのが、この先数十年にわたって愛用することになる1着の「カバーオール」だった。


「初めて物を買うためにショップに並びました(笑)。そこで接客していただいたのが、名物スタッフとして名を馳せていた中野光章さん。翌年に僕が同店へ入社するのですが、このカバーオールが、入社のきっかけになったと言っても過言ではありません」。
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