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「町の復旧」と「人の復興」は違う


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通い続けることで、小山さんの中には一つの確信が生まれていた。

「町の復旧と、人の復興は別なんです。被災された方の中には、景色が変わってしまうことへの寂しさを抱えている人も多いんです。復興は建物や道路ではなく、人の心が回復して初めて成り立つものだと感じました」。

今年は震災から15年。大きな節目の年でもある。
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「“もう15年も経つんだ”と感じる人も多いと思うんです。だからこそ、僕はアイドルという立場でSNSを通して、『もう一度思い出そう』『もう一度考えよう』と伝えていきたい。

同じ島国で大きな災害を経験した僕たちは、そこから学び、備えることができるはず。震災を過去の出来事にするのではなく、未来への教訓として残していきたいんです」。

被災地で出会った人々の変化を、間近で見続けてきたことも活動の大きなやりがいだ。

「店を失った主人が、もう一度商いを始めるときは身内のようにうれしいんです。生きる気力を失っているように見えた方が、ある日を境に“生きよう”って顔つきが変わることもある。その変化を見てきたことが、僕を動かしているんだと思います」。



「不思議なんですけど、東北の被災地に行くと地元の皆さんに“おかえり”って言われるんですよ。もう行き過ぎて(笑)。“おかえり”とか“ただいま”って、すごく温かい言葉じゃないですか。そう言い合える関係には、一度や二度通っただけでは絶対になれないんですよね。

東北の方って、本当に人への愛情が深いんです。だから僕にとっては、その“おかえり”という言葉がいちばん印象に残っています」。

東日本大震災のあとも、日本はコロナ禍や能登半島地震など、幾度も災害に直面してきた。社会の支援のあり方は変わってきたのだろうか。

「日本人の災害意識は確実に変わったと思います。とくにSNSの普及は大きかった。支援の方法や情報共有のスピードは、以前とは比べものにならないくらい広がりましたよね。

ただ、僕個人としては、“点の支援”で終わらせたくないという思いがずっとある。もちろん緊急支援としての“点”はすごく大事なんです。でもそれが結びついていかないと、単発のショットで終わってしまう」。



支援を“点”ではなく“線”として続ける。その象徴のひとつが、被災地に寄付した車だった。

「能登には軽トラックを寄付しました。1台あれば長く使えますから。現地でずっと役に立つ支援をしたかったんです」。

通称「慶トラ」と呼ばれるその車は、復旧作業の現場で使われ、支援団体を含め176人が利用したという。そして今年2月、小山さんは2台目の車を寄付した。車種は「トヨタ・ヴォクシー」。理由は、現地からの声だった。

「被災地のお年寄りが病院に行く足がない、バスもない。乗り降りしやすい車が必要だとカーシェア団体の方から聞いて、『じゃあ僕が用意します』と決めました。その車は石巻を拠点に青森や他の地域に行くこともあります。そうやって“線”として続いていく支援の形を、自分なりに探していきたいと思っています」。
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