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2026.03.11

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「日本の避難所は3.11から変わらず、ずっと“あたふた”してる」登山家・野口健が語る“避難所のリアル”

2024年能登半島地震支援

2024年能登半島地震支援


登山家としてはもとより、国内外で大規模な災害が発生した際の積極的な支援活動でも知られる野口 健さん。
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自ら被災地へ赴き、多くの避難所でサポートを行なっていく中で感じた、日本における災害支援の問題点とは何か。その課題に、我々はどう備えるべきか。

東日本大震災から15年が経過した今、野口さんの口から語られる災害の実態をもとに、防災意識を再びアップデートしていきたい。

話を聞いたのは……野口健さん●1973年生まれ。アルピニスト。1999年にエベレストの登頂に成功し、当時の7大陸最高峰世界最年少登頂記録(25歳)を樹立。以降、ヒマラヤの清掃登山や富士山の環境問題などに取り組む。また、大規模災害発生時には自身のNPO法人や登山家としての知見を活かし、寝袋の配布やテント村の設営など、迅速かつ実効性の高い支援活動を展開している。

野口健さん●1973年生まれ。アルピニスト。1999年にエベレストの登頂に成功し、当時の7大陸最高峰世界最年少登頂記録(25歳)を樹立。以降、ヒマラヤの清掃登山や富士山の環境問題などに取り組む。また、大規模災害発生時には自身のNPO法人や登山家としての知見を活かし、寝袋の配布やテント村の設営など、迅速かつ実効性の高い支援活動を展開している。

「極寒」の能登で見た避難所の惨状

画像提供:東北地方整備局震災伝承館

画像提供:東北地方整備局震災伝承館


野口さんが本格的に災害支援に取り組むようになったきっかけは、2011年に発生した東日本大震災だ。
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「被災した人の激しい恐怖や喪失感は、体験したことのない者にはわからない」としつつも、その気持ちに寄り添うことはできる。そんな想いのもと、その時の自分にできることを考え、行動に移し、コツコツと活動の幅を広げていった結果、現在では自身で立ち上げた認定NPO法人を窓口に、救援物資の供給や避難所のサポートを行なっている。

2015年のネパール地震や2016年の熊本地震、直近では2024年の能登半島地震の際も現地に赴き、災害の凄まじさや避難所の惨状を目の当たりにしてきた。

そうした経験の中から、今でも強く感じていること。それは、「日本の避難所は、先進国の中では三流以下」という現実だ。

2024年2月末の珠洲市の状況

2024年2月末の珠洲市の状況


「能登半島地震の時の話です。そもそも能登は、半島という地形の特殊性もあって、救助隊が被災地になかなか近づけないという事情がありました。特に輪島市や珠洲市に向かうのは大変で、石川県の馳浩知事も『しばらくボランティアは控えてほしい』と要請されていましたが、私は状況を確認するために何とかして現地に入りました」。

地震が発生したのは1月1日。まさに「極寒」という言葉がふさわしい状況だ。野口さんは、冬山用の寝袋を届けるために各地の避難所を回っていたのだが、そこで衝撃的な光景を目にしたという。

「七尾の避難所の皆さんの唇が青くなっていたのが印象的でしたね。体育館の中は冷蔵庫のような寒さで、最低気温が2.2度という場所もありました。そんな環境の中で薄い毛布が一枚配られているだけですから、長期滞在するうちに皆さんの表情が次第になくなっていくんです」。

2024年能登半島地震支援寝袋支援_ビニールハウスで避難生活

2024年能登半島地震支援寝袋支援_ビニールハウスでの避難生活


この寒さが、命に関わる「災害関連死」を招くと確信したという野口さん。実際に、能登半島地震では、直接死よりも関連死の数が大幅に上回ったという結果が発表されている。

「一方で、1〜2カ月経っても車中泊や在宅避難を続けている方も多くいました。障害のある家族がいる方やペットを連れている方が、周囲を気にして避難所に入れないケースも多く見られました。また、輪島塗の職人さんなどは、半壊した自宅にある希少品の盗難を恐れ、車中泊や在宅避難を選ばざるを得ない状況にありました」。
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