OCEANS

SHARE

advertisement
  1. トップ
  2. ライフ
  3. 「もっと演技で評価される世界に」日米をつなぐ野村祐人が語る、日本特有の風習と未来

2025.10.29

ライフ

「もっと演技で評価される世界に」日米をつなぐ野村祐人が語る、日本特有の風習と未来


advertisement

野村祐人さんは俳優であり映画プロデューサー、ときには企業のコンサル的な役割を担うビジネスマンなど多様な肩書きを持つ。両親の仕事柄、芸能界との距離が近く、幼少期には子役としてデビューする。

演技の楽しさに目覚めるも、仕事を続けていく中で日本の業界特有のシステムに疑問を抱き、いつしか「俳優が働きやすい環境」を創るべく自ら奔走。

現在は活動拠点をロサンゼルスに移し、日米の映像業界をつなぐ架け橋として尽力している。そんな異色の人生を送る野村さんに、人生ストーリーを語ってもらった。そこには幸福な人生を送るためのヒントがあった。
advertisement

今の自分があるのは俳優時代の苦い体験があったから

ノムラ・ユウジン⚫︎1972年生まれ。1987年にNHKのテレビドラマ『絆』で主演デビュー。以後、俳優として活動するかたわら、2013年にはハリウッド映画『終戦のエンペラー』のプロデュースを手がけるなど、プロデューサーとしても活躍している。

ノムラ・ユウジン⚫︎1972年生まれ。1987年にNHKのテレビドラマ『絆』で主演デビュー。以後、俳優として活動するかたわら、2013年にはハリウッド映画『終戦のエンペラー』のプロデュースを手がけるなど、プロデューサーとしても活躍している。


本特集はゲストの人生における過去の失敗と成功から、生きるヒントを学ぶという企画。さっそく野村さんにとっての失敗について訊くと「ないですよ」ときっぱり。そのうえ「え、逆に訊きますけど、失敗したことあります?」と質問をされる始末。

低くて芯のあるよく通る声と、子供のように無邪気な笑顔が印象的だ。



「根っからのポジティバーなのか、失敗を失敗と感じていないのかもしれません。もちろんその瞬間はやばいなと思いますが、起きてしまったことは考えても仕方がない。だからいかに修正して良いものを創るかということに必死で。その必死の状況が不思議とワクワクするんです。


特にプロデューサーという仕事は、いいものに仕上げることが大前提ですが、作品創りに参加してくれている演者やスタッフを守ることが仕事でもあるので、”誰かのために”というスイッチが入ると余計に燃えます(笑)」。

持ち前の正義感や親分肌は幼少期からあったという。

「よく覚えてませんが、小さい頃は誰かがいじめられていたら、よく闘いに行ったりしていたみたいですね。

あと父がハーフ、母は帰国子女という環境だったこともありアメリカンスクールに通っていたんです。そうすると近所の日本人に理不尽に絡まれたりして、よく喧嘩はしていました。まあ、子供のやることなのでかわいいもんでしたけど」。

実父はプロデューサーの草分け的存在で、日本を代表する伝説のロックバンド・ゴダイゴをプロデュースした偉人。芸能界との距離も近かったことからある日、子役のオーディションに合格したことを機に、俳優の道を志すことに。

「すごく楽しいし素敵な人も周囲にいっぱいいて、役者という仕事は本当に楽しいなって思っていました。でもキャリアを重ねていくと、日本の芸能界の仕組みがわかってくるというか。

役者は連ドラをたくさんやって、CMをたくさんやらないと食っていけない。結局はテレビ局や所属事務所、広告主の言いなり。言ってしまえば、芝居の上手い下手なんて二の次。もっと役者たちが演技で競い合ってやって、それがちゃんと評価されるような世界にならないのかなあって」。

当時は役者の仕事をしながら、俳優の地位向上のために奔走はしたものの、現実は厳しかったという。国内からの改革は難しいと考え、野村さんはアメリカへの移住を決意し、海外展開に打って出る。

「アメリカに飛んで演技の勉強をしながら、いろんな企画を持って、LAの映画関係者に会ったり資金集めをしたりしました。逆輸入という形でプロジェクトを持っていかないと、日本は変わらないと思って。

そりゃもちろん、苦労したことなんて数知れずですが、誰もやったことのないことを始められるのって、しんどいけどワクワクするじゃないですか(笑)」。


その後、野村さんは現地で地道な努力を重ね、着実に影響力を拡大していく。

というのも、二カ国語を話せるというだけでなく、日本の俳優とのパイプもあり、アメリカの映画社会の習慣や作品づくりに関するプロセスなどに精通していたので、必然的に日本からのオファーが集まってくるのだ。

まさに日米のエンタメ業界をつなぐハブ。余人をもって代えがたい存在。

「アメリカで役者の仕事をしたいという⽇本の役者の多くは、僕らのところに連絡がきます。有名、無名問わず、様々な俳優さんが⽇本から単⾝でオーディションを受けに来ますよ。そういう時に窓⼝になったり、現地のキーマンやマネージャーを紹介するなどしています」。

トラブル解決の秘訣は、とにかくコミュニケーション



2009年『TAJOMARU』、2010年『シュアリー・サムデイ』、2012年のハリウッド映画『終戦のエンペラー』など、野村さんは多くの話題作を手掛けてきた。

プロデューサーとしてだけでなくディレクションやキャスティングに至るまで、あらゆる作品で八面六臂の活躍を見せる。どの映画も、誰もが知っている作品なだけに、スケールも大きく関わる人間も多い。

その分、トラブルも少なくなかったはずだが「もちろん、たくさんありましたよ」と、野村さんは一笑に付す。

そして、最近関わったというAmazon Prime Videoで配信されている音楽バラエティ番組『ザ・マスクド・シンガー』の裏側を例に、“アメリカと日本の感覚の違い”を語ってくれた。

「アメリカのAmazonからオファーをされて、クリエイティブ・コンサルタントとして参加することになりキャスティングを担当しました。

コロナ禍だったため、司令塔であるアメリカのAmazonチームは現場に来ることができず、打ち合わせは常にオンライン。そのため、本⾳が⾒えにくく、現場の実情を⼗分に把握しないまま、“アメリカの基準では当たり前の要求”を⽇本の制作チームにしてくることもありました。しかし、それが⽇本側にとっては、時に⾮常に⾼いハードルとなる場合もあったのです。

アメリカでの制作の仕⽅や考えを⼀⽅的に指⽰されることに対して、⽇本の現場的には、納得しがたい思いを抱くようになりました。その結果、⽇⽶チームの間には、一時的に不協和音のような緊張感が漂うようになってしまったのです」。

そんな状況の中、野村さんは間に⽴ち、⽇本側の要望をアメリカ側に丁寧に伝え、相互理解を図るための調整役を務めた。

「現場には、常に役者やスタッフとしっかりコミュニケーションを取り、明確な⽅向性を⽰せる⼈がいるとは限りません。たとえ通訳がいたとしても、現場の空気感や状況、役者の⼼の機微までは、正確に伝えきれないことが多いのです。そこには⽂化の違いや、コミュニケーションの齟齬も当然ながら存在します。

だからこそ、その作品が進むべき⽅向性やゴールを双⽅がある程度共有した上で、⽇⽶それぞれの意⾒や要望をうまく融合させ、より⾼い完成度を⽬指すことが何よりも重要だと思います。そうすれば、必ずや⼼から理解し合える瞬間が⽣まれるはずです」。



「僕はそれをしただけのことで。大事なことは一生懸命伝えて諦めない、すねない。とにかくコミュニケーションあるのみ。国籍や職種は関係ない、お互いに相手を『知ろう』と思う気持ちが大事。それは絶対に伝わりますから。これは一般社会でも言えることだと思いますよ」。


素朴なギモン。自分のためならまだしも、芸能界のこれまでの風習を変えたいという一心で海外へ移住し、日本の俳優のために尽力するなど、自ら茨の道へ身を投じることはなかなかできないこと。原動力は何なのだろうか。

実際、野村さんが渡米する以前と現在では、日本の芸能&エンタメ業界はだいぶ違った形になり、野村さんが志した理想の形に近づきつつある。

「基本は”Have fun!”。心が生き生きしていることが一番大事ですね。おっしゃる通り、”日本の芸能界を変える!”とかって、傍目から見ると大層な大義がありますが、結局は自分のためなんだと思います。

もちろん、過去にはネガティブな気持ちになることもありましたが、でもそうなったところで良いことが一つもないのでやめました」。




「僕はつねにワクワクしていたいし、何かにチャレンジしていたいんです。先ほども話した通り、子供の頃から曲がったことが大嫌いで、みんなが楽しいとか幸福を感じる環境を創ることが好きだったのだと思います。

今はかけがえのない家族や、大好きな仕事仲間のため。だからこそ頑張れる。自分のためだけだったら、ここ(※撮影したのは野村さんの行きつけのお店)で永遠に呑んでますよ(笑)」。


プロデューサーだった実父から言われたことも少なからず影響しているという。

「若い頃、毎晩アホみたいに役者仲間でワイワイ呑んでいたら『お前何やってんの? そんな暇あったらみんなに仕事を作れよ。おまえがここで酒を呑んでいたって何も生まれない。時間の無駄。みんながハッピーになることをやれ』って。その言葉はいまでも心に残っています」。

失敗も成功もない。すべては己の気持ち次第。清濁併せ呑むことで見えてくる”fun”があること、そして何より、人と人とのコミュニケーションの大切さを身を持って語ってくれた野村さん。

最後に「読者のみなさんの参考になるかわかりませんが」と言いつつ。

「子供の頃のことを考えてみてください。当時は興味のあるものには飛びついていたし、何も考えずに楽しく遊んだりしていたじゃないですか。それが大人になるにつれ、いろんな情報を得たことで、新たな一歩を踏み出すことに躊躇したり、周囲の目などを気にしてしまう。

見えない空気が勝手に『大人はこうあるべき』という虚像を創り出して勝手に畏れている。そんなのないのに。

何度も言いますが、大事なことは”Have fun!”であること。そして全ては人と人。何かやりたいことがあってモヤモヤしている人は、ぜひチャレンジしてほしい。一歩踏み出せば協力者も出てきますし、あとはどうにでもなるから! これは実体験している僕が保証します(笑)」。

オオサワ系=取材・文 河野優太=写真

SHARE

advertisement
advertisement

次の記事を読み込んでいます。