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ラストシーズンを襲った不慮の事故。脳脊髄液が漏れ、43歳の誕生日に入院


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2022年の現役復帰宣言からストイックにトレーニングと実戦を積み重ね、かつて以上の身体を取り戻し、技術と感覚を研ぎ澄ませて迎えた2024-2025年シーズン。ミラノ・コルティナ冬季五輪に向けた最後の1年。翌月にヨーロッパ遠征を控えていたときに、事故は起きた。
8月29日の投稿文(抜粋)
朝練習に向かう時いつも自転車で通っています。
歩道ではなく車道をいつも走るようにしています。
この半年程大規模な工事が夜になると行われているところがあり、そこは日中は簡易的に鉄の板で覆ってあるんですが道路と鉄板の隙間が黒いゴムのようなもの(のちにゴムではなく黒のテープと分かりました)で覆い隠してあって、そこに乗った瞬間タイヤが落ち顔面から道路に打ち付けられたと言う事故でした。


工事現場を囲う柵がなかったこと、開けた穴が塞がれず、隠されていたこと。ありえない道路状況により、佐々木は顔面から道路に打ち付けられた。

その衝撃により、歯は折れ、顔や手に縫うほどの傷ができ、脳脊髄液が漏れた。記憶に一部障がいが出た。しかしスキーヤーの命である膝と靭帯は無事だったことから「現役は続けられる」「(体の傷より)練習できない心の痛みのほうが今の時期はこたえます」と、先の投稿には記されている。
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その後、今も続くひどい脳震盪の後遺症に悩まされ、雪上どころかフィジカルトレーニングさえまともにできない日々が続き、約1カ月後の9月26日に入院。当然ヨーロッパ遠征は延期となる。奇しくもそれは43歳の誕生日だった。



当時のことを佐々木は振り返る。

「(脳震盪で)頭の状態が良くならないとか、歩けないとか、ギリギリをずっと綱渡りしている状態だった。でも、それを口に出してしまうと、そっちに引っ張られる。思考が引っ張るんですよ、行動とか身体を。だから、今できることを100%、一個一個やっていけば、必ず俺はいけるって言い聞かせていた」。



結果、3週間の入院、地道なリハビリを経て、事故から約3カ月後の11月27日、佐々木はオーストリアで雪上に戻った。



そして、わずか3回のポールトレーニングで、事故後初めての大会「Far East Cup」に上海で出場するが、2本目でリタイアを余儀なくされる。
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