半井重幸(Shigekix)|ブレイクダンサー
当記事は「Forbes JAPAN」の提供記事です。元記事はこちら。2025年6月25日発売のForbes JAPAN8月号は「10代と問う『生きる』『働く』『学ぶ』」特集。創刊以来、初めて10代に向けた特集を企画した。背景にあるのは、10代をエンパワーメントしたいという思いと、次世代を担う10代とともに「未来社会」について問い直していくことの重要性だ。「トランプ2.0」時代へと移行した歴史的転換点でもある今、「私たちはどう生きるのか」「どのような経済社会をつくっていくのか」という問いについて、10代と新連結し、対話・議論しながら、「新しいビジョン」を立ち上げていければと考えている。
特集では、ドワンゴ顧問の川上量生、 軽井沢風越学園理事長の本城慎之介、 神山まるごと高専理事長の寺田親弘による表紙座談会をはじめ、世界を変える30歳未満30人に注目した「30 UNDER 30」特集との連動企画「15歳のころ」には、ちゃんみな、Shigekix、ヘラルボニー松田崇弥、文登、Floraアンナ・クレシェンコといった過去受賞者が登場。そのほか、ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正、前台湾デジタル発展相大臣のオードリー・タンへの10代に向けたスペシャルインタビューも掲載している。
「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」連動企画、受賞者たちの「15歳のころ」。世界的ブレイクダンサーのShigekixは当時をこう振り返る──。
人生には「ターニングポイント」というものがある。ある出来事が、自分の人生を大きく左右する。誰の人生にも訪れるものだが、いつ、どのように起こるのかは人それぞれで、成人前に遭遇することも、老齢になってから直面することもある。
日本を代表するブレイクダンサーのShigekixにとって、そのタイミングは15歳だった。今から7年前、若手の注目ダンサーだった少年は、ブレイキンで生きていく決断をした。世界最高峰のトーナメント、Red Bull BC One World Finalに、最年少で挑んだ。
「5人の審査員が1人ずつ、勝ったと思うダンサーのネームプレートを掲げるんです。初めて足を踏み入れたトップの世界、自分の名前が1枚でも上がれば上出来だと思っていました」
ベスト16から始まったトーナメントを勝ち上がり、準決勝まで進んだ。自分でも予想外の、充実感のある結果だった。その時、世界で戦える自信と、険しい道を歩む覚悟が芽生えた。しかし、ダンスで生きていくのは茨の道だ。ほかの可能性を閉ざし、15歳でその道を選ぶリスクも大きい。それでも決断したのは、世界のトップ4に残った自分への責任感からだった。
「もし自分が道を切り開かなければ、日本のブレイキンシーンは遅れる。そう言い聞かせて、前に進みました」
ステージ上でダイナミックに踊る現在の姿からは想像しにくいが、Shigekixはかつて、内向的な少年だった。家に帰ればスケッチブックの前に座り、クレヨンを握って絵を描くことが好きだった。赤ちゃんの時もほとんど泣かず、言葉を覚えてからも口数が少なかった。本人は当時を、「いつも、答えの出ないことばかり考えていた」と振り返る。
「5歳、6歳の時、自分は何者なんだろう、なんで今、ここにいるんだろうというようなことが、頭のなかをグルグル回っていました」
蓄積された疑問は、スケッチブックの上で吐き出された。言葉にできない思いは自己表現として、クレヨンの線に置き換えられていた。
そうした表現欲求がダンスに向かうきっかけは、4歳年上の姉だった。7歳の時、姉の影響でブレイキンを始め、ダンスの世界にのめり込んでいった。ブレイキンではダンススキルに加えて、「その人らしさ」も評価の対象になる。身体を通して自己表現にのめり込み、地元、大阪のなんばの広場で大人に交じって練習に明け暮れた。着実に力をつけて「天才キッズ」と呼ばれ、表現の舞台はすぐに国内から世界に変わった。10代前半から国際舞台で大人とわたり合い、18歳で世界トップのRed Bull BC One World Finalを最年少で制した。内向的だった少年は約10年で世界のトップダンサーとなり、2024年のパリ五輪を迎えるころには、世界ランキング1位にまで上り詰めていた。
4位という結果が、語ったこと
初めてブレイキンが五輪種目に選ばれたパリの舞台は、日本で競技を普及させる絶好のチャンスだった。日本人選手がメダルを獲得すれば、より多くの国民が、競技に興味をもつことになる。メダルを期待され、開会式の旗手も務めた。
Shigekixはしかし、表彰台にあと一歩、届かなかった。4位に終わった結果を、「まさか」と評する声もあった。15歳の時、日本のブレイキン界を背負うことを決めたShigekixだけに、パリでの結果には忸怩たる思いがあるだろう。あれから約1年。あの戦いをどう振り返っているのか。
「悔しいですよ。ものすごく。だけど、それも自己表現のひとつだとも思うんです。特に3位決定戦。優勝を目指していたなかで、準決勝で負けた。その後の3位決定戦を、どう戦うか。苦しいことにどう立ち向かうか。その姿も、きっと何かを伝えますよね。負けていいわけじゃない。それは違う。貪欲に結果を追い求める。だけど、本気で挑戦すれば、もしそれがかなわなくても、そのプロセスに意味が宿る。その姿が、誰かの活力になるとも思うんです。その意味で、パリではやり切れた。もちろん、満足はしていませんけど」
幼少期からパリまでの期間を振り返ると、Shigekixの「自己表現」の方法が深化してきたことがわかる。表現方法がアートからダンスに変わり、そして自身の生き様になった。ただし、いつも純粋であり続けてきた。好奇心と向き合い続けたからこそ、自己が解放され、彼にとっての表現が「自分であること」そのものに昇華されたのだろう。
インタビューの最後、あらためて15歳というキーワードを投げかけた。今、自身のターニングポイントだったあの15歳を生きる若者たちに、どんな言葉を語りかけるのか、と。
「ブレイキンをやってるB-BOY、B-GIRLって、いつも少年少女の心を大切にしてるんです。楽しい、好き、ずっと踊り続けたいって感覚。大人になるとその心を捨てなきゃいけない気がするかもしれない。だけど、僕はそんな必要はないと思います。知識や経験が増えても、少年少女の純粋な心は捨てなくてよい。むしろ、その気持ちをもち続けたまま責任を果たすのが、大人だと思う。だから、好きを大事にしてほしい」
Shigekixのターニングポイントは15歳、ダンサーとして生きる覚悟をした時だった。その延長に、今がある。だが、人生の分岐点は決して一度きりではない。彼はこれから、幾度も岐路に直面するはずだ。そして、そのたびに自らの表現を深め続けていくのだろう。
なからい・しげゆき◎2002年生まれ。7歳でブレイキンを始める。20年 Red Bull BC One World Final世界最年少優勝。21年度からJDSF全日本ブレイキン選手権3連覇。24年パリオリンピックでは開会式、閉会式ともに旗手を務めた。