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「やりたいことをやり尽くした!」30代に刻んだ挑戦と進化


⺠生にとって、30代は「アウトプットの時期」だった。「20代で学んだことをただ抱えていても意味がない。だから、30代はそれを一気に吐き出すタイミングだったんだよ」と振り返る。

ソロ活動に加え、井上陽水とのコラボレーションや「ひとり股旅」ツアー、さらには地元・広島市⺠球場での初ライブなど、新しい挑戦を次々と実行。彼は、30代を「持っているものをすべて出し切った時期」として位置付ける。

「とにかく、やりたいことは全部やったよね。30代はそういう時期だったな」

さらに、PUFFYのプロデュース業に挑戦したことで、自分のためではなく他者のために音楽を作るという新しい経験も得た。

「あれは面白かったよ。自分のためじゃなくて、他の人のために曲を作るっていうね。30代はそういう新しい楽しみを知った時期だった」。

「王道から少し外れる魅力」⺠生が語る“ひねり”の重要性


「59-60 奥田⺠生の 仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル」(ダイヤモンド社刊)

「59-60奥田⺠生の仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル」(ダイヤモンド社刊)


⺠生は常に「少し変わった要素」を音楽に取り入れることを意識してきた。

「俺たちの音楽って、王道から少し外れたところにある方が面白いと思うんだよね。大きく外れると聴かれなくなるけど、ほんの少しひねりを加えることで、人を引き付けるポイントが生まれるんだ」。

その代表例として彼が挙げるのはビートルズだ。

「ビートルズなんか、今では超ポピュラーだけど、よく聴くとサウンドエフェクトや構成が実験的で独創的なんだよ。それが多くの人を引き込んでいるんじゃないかと思う」。

⺠生自身も、その「ひねり」を意識して音楽を作り続けている。

「何百万人が『これがいい!』って言う音楽よりも、1000人くらいが『これいいね』って思う方が俺的にはグッとくるんだよね。でも、30人だと少なすぎて伝わりづらい。だから、そのちょうどいいバランスを意識してるんだ」。


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