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2024.09.19

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「日本のコンビニは小宇宙だ」。ハーバード大教授が解くその魅力!立ち読みする人たちは”生きた看板”

DAJ / Getty Images

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当記事は「Forbes JAPAN」の提供記事です。元記事はこちら

「日本の「konbini」はすでにコンビニエンス・ストアの域を脱している。それはすでに社会の小宇宙であり、現代日本のダイナミクスと世界における役割を理解する上で欠かせない要素である」

これは、日本のコンビニ(konbini)の研究者であるハーバード大エドウィン・O・ライシャワー日本研究所のエグゼクティブ・ディレクターで、国際基督教大学の日本研究メジャーコーディネーターでもあるギャヴィン・ホワイトロー博士の言葉である。

ホワイトロー博士が日本のコンビニに興味を持ったのは、山形県庄内地方で中学校の英語教師をしていた1990年代初頭のことだ。

『トーキョー・トーテム 主観的東京ガイド/Tokyo Totem ‒ A Guide to Tokyo』(2015年、フリックスタジオ刊)より、ホワイトロー博士が執筆した章、「Mapping Konbinity」を以下、翻訳で紹介する。

コンビニは「みんなの万事屋」

コンビニにようこそ──。

ここは日本の公共空間の認識を覆す、重たいしがらみや帰属意識からはまるで無縁な場所だ。

コンビニには「みんながそれぞれにひとり」のムードがある。居心地のいいテーブルやムーディな照明があるわけでも、カプチーノのカスタマイズを頼めるわけでもない。たいていの客にとって、コンビニとは何かを手早く確保する場所、あるいは用事を済ませる場所だ。

カフェならばコーヒーに注力して、商品の魅力と愛想のいい接客で常連客を作るだろうが、コンビニは対照的に、「全員のための何でも屋」であろうとする。弁当屋であり、酒屋であり、煙草屋であり、ドラッグストア、書店、新聞の売店、コピーやファックスのキオスク、銀行、宅配便の発送窓口、郵便局、公共料金の支払い窓口、深夜のタクシー待ち合いスペース、リサイクル品収集センター、市役所の出張所、そして災害時の緊急避難場所でもある。

利用者の大半にとってコンビニは家でもないし、職場でもないし、学校でもない。義務と帰属意識が生ずるさまざまな場所のどれにも当てはまらず、あくまでその中間であろうとする場所なのだ。

1. 店頭:たむろする人、ゴミを捨てる人
コンビニの正面はがらんとして見えるかもしれないが、朝もしくは昼どき、もしくは学校が終わった時間帯や日没頃のタイミングに行ってみれば、ドア前で何人かのグループがたむろしているのを目にするだろう。

駐車場があるコンビニなら、きっと見えている数の倍の人間がそこにいる。観察していると、車から降りてコンビニに入っていく人たちが、たいてい入口脇にあるゴミ箱やリサイクルボックスに何かを投げ込んでいるのがわかる。

そうしたゴミを受け付けるのは、店舗運営にとって一長一短がある。近隣住民や都市計画責任者にはありがたがられる半面、家庭ゴミや古い自動車タイヤを勝手に捨てる人もいれば、場合によっては犯罪の証拠を投棄されることさえある。

2.雑誌コーナー:立ち読みする人たちは「生きた看板」
最近の世論調査では、回答者の32%が「雑誌を読むためにコンビニを利用したことがある」と答えた。

雑誌の棚は、店内の動線が滞る場所だ。客はたいてい好きなだけ時間をかけて立ち読みをする。いつ行っても5人ほどはそうしていて、なかには1時間近く立ち読みする客もいるようだ。雑誌コーナーの客と店は、いわば共生関係にある。雑誌の棚はたいてい正面の大きなガラス窓に接して設置されているので、立ち読みする人たちの姿が「生きた看板」となって、客を呼び込んだり、あるいはコンビニ強盗の侵入をあきらめさせたりする役割を果たしている。


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