地元の情報発信をするべく、北見市へUターン
2011年に東日本大震災が起こった時、中西さんは防衛省に勤務していました。
「防衛省は自衛隊の組織で、自衛官の方達は直接現地に入っていました。しかし僕はバックオフィスで働く立場だったので被災地に行くことは叶わなかったんです。非常時のためにある組織なのに、自分にできることはあまりにも少ないと無力感を感じました。それまで楽しく働いていたのですが、これが今後のキャリアについて考えるきっかけになったんです」
いつかは地元に帰るという思いを漠然と抱いていたという中西さん。千葉に住んでいる時は、北海道出身で関東圏に住んでいる知り合いも多かったので、集まる機会が度々ありました。
「僕と同じように、将来は道東で生活したいと考えている友人もたくさんいました。でも関東に住んでいると、地元の情報が全然入ってこない。帰るにしても情報収集が難しいという現状を知りました。そんな経験から、地元を離れている人たちに情報を届ける仕事がしたいと思ったんです」
2012年、北見市へUターン。地元の情報を発信するフリーペーパーを発行しているデザイン会社へ入社しました。
「いざ帰ってみると、自分は地元のことを全然知らないと痛感しました。学生時代は部活ばかりで知り合いも同年代の友達ばかりだったので。引っ越した当初は、ここにはどんな人たちが住んでいてどんなものがあるのか、それを知るように努めていました」
積極的に街の人との交流を図っていった中西さん。街の人たちとのコミュニケーションはとても楽しかったと話します。
「自分はこういうことがやりたい! とアピールするのは簡単ですが、いきなり来たやつにそんなことを言われても受け取る側は反応に困ってしまう。それよりも街の人に信頼してもらうことが先だと思ったんです。例えば街で祭が開催されるなら率先して参加する。いろんな場所に顔を出すことは心掛けていました」
既にあるコミュニティに入っていくなかで、街の人たちの役に立つよう前向きに取り組んでいました。
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