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東京での経験が育んだ技術と理想



安藤さんは学生時代から靴作りに興味をもち、東京の靴メーカーや専門店で経験を積んできた。その道のりは決して平坦ではなかったが、さまざまな経験が彼の技術と理想を形作っていったという。

「製靴学校卒業後、靴修理や技師装具の仕事などを経て、最終的にはビスポークシューズの工房に勤務しました。ドレスシューズだけではなく、さまざまな種類の靴に携われたことで靴づくりの奥深さや多様性を学べました」(安藤文也さん、以下同)。

しかし、完璧を追求する仕事の厳しさに直面することも多かった。やり直しがきかない革素材を扱うのは緊張の連続で、ときには体調を崩してしまった事もあったそう。



「120点を目指す仕事なので、時間的にも精神的にも大変でした。完璧なものを作ろうとすると、時間もお金も犠牲にしなければならない。そのバランスを取るのが難しかったですね。でも、その経験が今の自分の技術の基礎になっています」。

この厳しい経験は、安藤さんに靴作りの本質を考えさせるきっかけとなった。完璧を追求しつつも、持続可能な靴作りの形を模索する中で、故郷での独立という選択肢が浮かび上がってきたのである。


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