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大震災の最中、開店を決意「ここで死んでもいいと思った」

「プルジャダイニング」の店主・チャック・プルジャさん

「プルジャダイニング」の店主であるチャック・プルジャさん。


「ネパール料理店で働いたこともあったんだけど、そのお店でもバターチキンカレーやナンを出していましたね。でも私がナンを知ったのは日本に来てからで、あれはネパール料理じゃないの。

だから当時は、『私はネパール人なのに、どうしてナンを作らなきゃいけないんだ』ってむかつきながら作っていたよね(笑)」(プルジャさん、以下同)。



プルジャさんが来日したのは2006年。ダメ元で申請した技能ビザが承認されたことがきっかけだった。

「日本語もわからないなか、ひとりで来日したから最初はとても大変でしたね。でも頑張って働いていたら、日本人はみんな親切にしてくれて、助けてくれたの」。

その後、プルジャさんはビジネスビザを取得。「本当のネパール料理を日本人に食べてもらいたい」と東京で独立を決めた。



だが、そんなプルジャさんを襲ったのが、2011年の東日本大震災だった。

「まだ物件探しをしているときで。外国の人はみんな帰ってしまって、街もガラガラになった。私もお父さんから『危ないから帰ってきなさい』と言われました。

でも、せっかく日本に来て、お店をやろうと考えて、自分の選んだ道が開けてきたところなのに、ここで諦めたら全てがゼロになってしまう。だから、人間どうせ1回死ぬんだから、“ここで死んでもいい”と思ったんだよね」。

日本で暮らす覚悟を決め、プルジャさんは2011年6月、上池袋に最初の店をオープン。2度の移転を経て、現在の土地、巣鴨に店を構えた。



「自分でお店をやろうと思ったのは、私の性格もあるのよね。子供の頃から自分がおいしいと思ったら、全然知らない人にも『これおいしいから食べて!』って言っちゃうの。

お母さんから『相手が好きか嫌いかもわからないのに、なんであんたはそんなことするの!』って怒られてた(笑)」。

「このクセは今も同じ」とプルジャさんが笑いながら言う通り、メニューに迷っているお客さんを見ると寄ってきて、「今は、これがおいしいよ!」「これ食べた方がいいよ」と、色々と教えてくれる。


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