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2024.06.29

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スポーツビジネスの第一人者にインタビュー「社会問題をスポーツの力で解決したい」

スポーツブランディングジャパン株式会社 代表取締役社長 日置貴之

スポーツブランディングジャパン株式会社 代表取締役社長 日置貴之


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2000年代初頭、まだあまり知られていなかったスポーツビジネスをいち早く日本に取り入れ、現在はその第一人者として活躍している業界のキーマン・日置貴之さん。

国内外で活動し、多忙を極める日置さんのFUN-TIMEを直撃した。

焚き火をしながらお酒を飲む時間が最高!

「焚き火かな。本当に大好きで、8〜9時間くらい火の前にいます。BBQをしながらお酒を飲んだり好きな音楽をかけたり。焚き火の炎って常に形が変わるので、何時間見ていても飽きません」。

FUN-TIMEについて聞くと、笑顔交じりに大きな目を輝かせながら語る。

何かを思い出した様子で、もうひとつのFUN-TIMEを話し始める。「子供たちがラグビーやアメフトをしているのですが、その様子を観ることも私にとっては大事な時間。

写真も好きなので、試合中にカメラを持って撮影をするのですが、それも楽しいです。膝にパッドをつけて撮るくらいわりとガチです(笑)」。

自身が代表を務めるスポーツブランディングジャパンは、スポーツビジネス全般を手掛ける。昔はアメフトやバスケ、バックカントリーなどさまざまなスポーツに興じてきたそうだが、今は観る専門。

「スタジアムやアリーナという特別な空間で、お客さんが選手を応援する姿を見るのが大好きなんです。

スポーツ観戦はお金を払っているのに、試合に負けてがっかりしたり、奇跡的な勝利の場所に立ち会えてうれし涙を流したりと、毎回何が起きるかわからない。

たった数時間の中でも忙しく感情が揺さぶられるこの状況を“喜怒哀楽の発露”と呼んでいるのですが、これこそスポーツの醍醐味であり、本質的な価値だと思っています」。



もともとは記者志望であった日置さんは学生時代、ジャーナリズムを本格的に学ぶべくアメリカへ留学する。奇しくもこれがスポーツビジネスの興味への発露となった。

「当時から日本にジャーナリズムは存在しないと感じていたのですが、渡米したらそれを余計に感じて。自由を勝ち取るために血を流すなんて、日本では考えられませんでしたから。

その頃はニューヨークに住んでいたのですが、プロスポーツチームや学生スポーツなどが、街と一体になっていた文化に興味を持ちました。

帰国後、博報堂に就職しましたが、スポーツの分野で働きたいと思っていて、Jリーグ関連の案件であればスポーツの仕事が回ってくると考え、営業やマーケティングの仕事をしながら、社内でそのためのパイプ作りをしていました」。

チャンスはひょんなことから生まれた。それは大学の先輩からの誘いだった。

「2002年のW杯で、FIFAが日本オフィスを開くのに人員を募集しているから一緒にやろうと誘われたんです。何となくノリで履歴書を送ったらふたりとも通って。そこから現職につながっています」。

とはいえ当時、日本でスポーツビジネスは浸透していなかった。日置さんは「楽しそうというワクワク感が強くて、ビジネスにしないという選択肢はなかったです」と語る。

「今思うと黎明期だったのかなと思います。というのも、私が仕事を本格的にスタートした04年当時、プロ野球に関していえば、日本ハムの北海道移転や楽天の新規参入、さらにソフトバンクが球団経営に関わるなど、大きな動きがありました。

ケータイ向けのネットサービスであったiモードなどのコンテンツビジネスが盛んで、世間ではケータイで試合のニュースや選手の情報を見るようになりました。

この動きは日本に限ったことでなく、世界中で同じような流れになっていたのです。そのタイミングで06年にWBCが初開催され、徐々に日本のスポーツが世界とつながり始めました。

当時一緒に仕事をしていた先輩と「今なら咸臨丸(=日本船として初めて太平洋横断に成功した江戸時代の軍艦。日本の近代化の歴史的象徴)に乗れるぞ!」みたいなテンションで、とりあえず馬車馬のように働きました」。


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