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被災地で感じた“復興”の意味



30歳で独立し、地元さいたま市で時計の卸しの会社を経営している頃、東日本大震災が発生。

副業としていた花火師の活動を通じて東北地方にも縁があった平岡さんは、いてもたってもいられず、ボランティアとして岩手・宮城・福島の被災地へ赴き、津波の被害の甚大さを目の当たりにした。

「津波で流され、海と更地しかなかった地域もありました。いつか人が戻ってきても、ここには生活を支えるための仕事がない。穏やかな海を眺めながら、“復興ってなんだろう”って考えました」。



被害を受けた人々が再び希望をもって生活できるよう、何か力になりたい。しかし、単なる金銭的な支援では足りない。

そこで、自分が長年培ってきた時計業界の知識と経験を活かし、被災地で時計産業を興して地域経済を活性化したいと考えるようになった。

「東北で時計の会社を立ち上げれば、新たに産業を興せるのではないか? ケースや文字盤、針、ブレスレットなど、時計には多くのパーツが必要なので、地域に根ざしたさまざまな仕事も生み出せる。それに時計なら、外貨を稼ぐことだってできるかもしれない」と。


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