▶︎すべての写真を見る 「BODY CHANGER」とは…… ボディメイクを失敗たらしめるさまざまな罠。確実に成果を出すには、ある種のテクニックが必要だ。
「真面目な人ほど挫折しやすい」とはどの世界でも広く聞かれる定説だが、ボディメイクでも多少の不真面目さが求められるらしい。
今回は、120kgから45kg減に成功したフィットネスジムの経営者・義田大峰さんが、成功に近づける肉体改造の真理を伝授する。
話を聞いたのはこの人!
義田大峰 a.k.a ふんどし義田●1988年生まれ。ふんどしスクワット日本記録保持者83kg級200kg。東京・杉並で「ジム パワーフィットスタジオZERO」を経営。会社員時代の運動不足と暴食が祟り、脂肪肝と軽度糖尿病と診断を受けて一念発起。「ふんどしの似合う日本男児」を極めるため、2年間でマイナス45キロの減量に成功。
残業100時間で運動不足に!体重は120kgに
――ビフォーアフターの写真を見ると凄まじい変貌を遂げていますが、減量する前の体重を教えてください。 自己最高は20〜21歳の頃で120kgです。身長は174cmなので、かなりの巨漢でした。
――120kgまで増えた理由は何だったんですか? デスクワークがメインの職場に就職したのがいちばんの原因です。高校では柔道をやってたんですが、残業時間が月70〜100時間ある仕事に就いて、すっかり運動不足になりました。それなのに、食べるものはしっかり食べてたんですよ。
――なるほど。当時の食生活を教えてください。 社会人1年目は寮に住んでいたので、おかわり自由のご飯を朝から6〜8杯食べてました。昼は社食で定食を頼み、それとは別に蕎麦やラーメンをスープ代わりに食べるスタイルでしたね。若かったので、質より量を求めてました。多いときは1日で1万カロリーは食べてたと思います。
――1日で1万カロリーって、逆に難しくないですか…? 当時は二郎系ラーメンにはまってたんですよ。昼に二郎、夜も二郎、1日に“2二郎”食べることもありました。それでついに120kgに……。この頃はむしろ、どこまで体重を増やせるのかにチャレンジしてた感じです(笑)。
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