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ジャズクラブでの屋根裏生活。濃密なNYでの3カ月



当時の市川さんは真っ白なドレッド・ヘアの13歳。街中を歩いていたら現地警察に捕まりそうなものだが、偶然道端で知り合った若者たちに導かれ、彼らが集まるパーティに出入りするようになった。

「そうして、日本から渡米費用として持参した30万円はすっかり使い切ってしまいましたね。生活費を稼がなければと知人のツテで、ジャズクラブで内緒で働き始めました。仕事は皿洗いなど雑用がメイン。クラブの屋根裏に寝泊まりしていました」。

そこでの暮らしは、のちに彼の作品の着想源となるほど印象的だったという。



「演奏が始まると、寝床の壁に光が跳ねて、管楽器の影ができるんですよ。まるで楽器が踊っているみたいですごく美しい光景でした」。

市川さんは3カ月ニューヨークで過ごしたあと、西海岸に移住。趣味が高じてロックバンドのツアーに帯同するなど3年間を過ごした。そのあとはヨーロッパにも住んだという。

渡鳥のような生活をするなかで、市川さんは何気ない日常をメモや落書きに記録し始めた。その習慣はやがて「表現したい」という欲求へと変わっていった。

「いつからか感情を揺さぶるような記憶のイメージを、物として定着させたいと思うようになりました。それに合う表現方法を音楽、建築、映像など、あらゆるものに触れて模索していたんです。ロッテルダムの建築事務所で働いたり、ロンドンで映像の制作会社で働いたりもしました。その頃から絵を描きたいという気持ちも芽生えてきました」。

ヨーロッパに滞在していた10代のとき、手付かずの古城を巡って寝泊まりし、夜に暗い森を懐中電灯で照らしながら彷徨っていたこともあったそうだ。その経験を通して、10代の葛藤や好奇心を描いた作品群を展示するときに使うのが「murmur」(医学用語で心雑音)というタイトルだ。

ヨーロッパに滞在していた10代のとき、手付かずの古城を巡って寝泊まりし、夜に暗い森を懐中電灯で照らしながら彷徨っていたこともあったそうだ。その経験を通して、10代の葛藤や好奇心を描いた作品群を展示するときに使うのが「murmur」(医学用語で心雑音)というタイトルだ。


この頃、市川さんは18歳。一度専門的な美術教育を受けたいと考え、日本に帰国した。しかし理想と現実の乖離に悩み、日本から離れ再度ロンドンに渡った。美術館でデッサンしたり、各地の工房に赴いたりと独学で美術を学んだ。

本展覧会では「Scrape Works」シリーズの作品も展示されている。和紙にインクや水彩、アクリル絵具やパステルを重ねたあと、 最後にその色の積層を削り落とし下層のイメージを浮かび上がらせている。

本展覧会では「Scrape Works」シリーズの作品も展示されている。和紙にインクや水彩、アクリル絵具やパステルを重ねたあと、 最後にその色の積層を削り落とし下層のイメージを浮かび上がらせている。


そして再び日本に帰国したのち、市川さんの代名詞でもある線香画という表現方法に行き着いた。

「美術業界にはコネクションがなかったのですが、知人の紹介で元コムデギャルソン・オムだったデザイナー田中啓一さんに出会うことができ、そのご縁で初めて展覧会をすることになりました」。

またこの時期、オーシャンズでもお馴染みのとある友人との出会いもあった。

「その後、当時B印YOSHIDAのディレクターだった種市暁さんとも出会い、数々のアパレルブランドとのコラボレーションなどにつながっていきました。種市さんはビームスの設楽社長をはじめ、色んな人と私の作品を結びつけてくれたんです」。

2009年、市川さんは「Scorch Paintings (線香画)」を発表。現代美術の登竜門的な展覧会「VOCA展」に推薦され、活躍の場を広げていく。


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