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描いていた未来から多くを奪った阪神・淡路大震災

私は1975年から神戸市でうどん店を経営していました。

とても小さな店だったので、隣の家が売りに出されたのをきっかけに店の拡大工事を行うことにしました。1年間休業し、晴れて新しいお店が完成したのが1995年1月16日。

その翌日、阪神・淡路大震災が起こりました。

震災前日に完成した自宅兼店舗(95年1月19日撮影)

震災前日に完成した自宅兼店舗(95年1月19日撮影)


店のあった神戸市長田区は特に火災がひどく、目の前まで火が襲いかかり消防車が駆け付けるも、水道管が壊れているために水が出ません。

みんなで必死に消火器をまき、土をかけ、奇跡的に全焼は免れました。

自宅の窓から見た震災直後の様子(95年1月19日撮影)

自宅の窓から見た震災直後の様子(95年1月19日撮影)


しかし、昨日完成したばかりの新しいお店は、外壁が焼け焦げてしまいました。

そして、完成を心から喜んでくれた義母は、屋根の下敷きとなって、完成したお店に入ることなく亡くなってしまいました。


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