「もうダメだ」この速度で橋に激突したら……
板一枚で川を逆流しながら、橋の天井ギリギリを通過する瞬間を描いたもの。
川に落ちたときに僕はケガをしていて、板に上がっても意識が朦朧としていました。あとから聞くと、僕ら夫婦が床板1枚の上に乗って川を逆流していたのは、約50分くらい。距離にして、だいたい7キロだったそうです。
そのあいだに、4つの橋をくぐり抜けていました。
最初の国道45号の鳴瀬大橋の下をくぐる瞬間は、「もうダメだ」と思いましたね。ものすごい速さで流されていて、橋と水面の隙間はほとんどない。体を伏せても、橋の天井が頭上のスレスレのところまで来るくらい水嵩が増していました。
このまま激突したら、絶対に死んでしまうなと。でも、妻が僕の頭を押さえつけてくれて、なんとか橋をくぐり抜けることができたんです。
引き潮の際に、必死で陸に上がる安倍さんご夫婦。
そうしているうちに、一瞬、川の流れがゆっくりになったことに気づいたんです。
ケガのせいで意識が朦朧としていましたが、「これは津波の引き潮が来るぞ!」と直感して、嫌がる妻と一緒に川へ飛び込みました。
僕らは流されている瓦礫や流木の上を転がるようにして、なんとか土手まで這いつくばって辿りつきました。川の水は、とんでもなく冷たかったですね。でも、そのまま板の上にいたら、今度は海の方へ流されてどうなっていたか……。
引き潮の際に川へ飛び込み、やっとの思いで土手まで辿りついた。
震災の後に鳴瀬川に行きましたけど、橋には膨大な数の傷がついてました。僕らみたいに何かに掴まって流されていた人は他にもいたし、川底に沈んでしまった人もいました。
橋の傷を見て、当時の凄惨な光景がまざまざと蘇りましたね。
「ヒーローと呼ばないで」懺悔の念
いろんな奇跡が重なって、僕たち夫婦は生き残りました。
「生還したヒーローだ」って言われることもあります。でも、普段から自分が住む街のことを研究して、避難ルートも検証して真面目に逃げたのに、残念ながら亡くなった人もいるんです。
僕たちは避難すべきだったのにしなかった。なのに、たまたま生き残れた。
これまで取材や講演に応じてきましたけど、本当はこういう話をするのは嫌なんです。実際は、懺悔に近い気持ちなんですよ。伝えたいのは“生還した成功談”じゃなくて、“すぐに逃げなかった失敗談”なんです。それがリアルだし、皆さんが学べることだと思うので。
テレビの映像で、火山や津波、洪水の様子を目にしますよね。あれはテレビのなかの映像で、自分ごとに置き換えられている人は少ないと思います。
僕だって、自分が経験してはじめてわかった。だから、リアリティをどう伝えるかが生き残った僕らの使命で、ひとりでも多くの人に、災害にあったときの生存率を上げるきっかけになればいいと思って伝え続けることにしています。
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津波に流された壮絶な50分間について、まるで昨日のことのように話してくれた安倍さん。
滲み出る懺悔の念と使命感が伴う言葉はリアルで重い。次回は、災害に遭遇した場合の生存率の上げ方について、安倍さんの考え方をぜひ共有したい。