2009年に経営権がムラサキスポーツに移ってから、Map’s Tokyoは多くのスケートボードコンテストが開催されるようになった。
今、最も旬なスケートパークは?
ムラサキパーク立川立飛のオープニングイベントのひとつとして開催された 「AJSA 2023 JAPAN PRO TOUR MURASAKI PRO」より、池田大亮のスイッチバックサイド180
現在、国内で最もホットなスケートパークといえば何処になるだろうか?
そこに先月東京都立川市にオープンした「ムラサキパーク立川立飛」という答えがあっても、決して大げさな表現ではないだろう。
実際にこけら落としイベントのひとつとして、40年以上の歴史を誇るAJSAのプロサーキットが、コロナ禍を経て4年振りに再開したり、Red Bullチームがデモに訪れたりと、待望だった首都圏の空調付き屋内コンクリートパークは、連日多くのスケーターで賑わっている。
「AJSA 2023 JAPAN PRO TOUR MURASAKI PRO」を制した 佐々木音憧のバックサイド・ノーズブラントスライド
そんな経緯もあり、今回は「ムラサキパーク東京」という場所の歴史を、自分の写真で振り返っていきたい。
そもそもこの場所は、足立区千住関屋町の施設、アメージングスクエア内にあったものであり、そこが移転リニューアルしたパークである事は、すでに愛好者の皆さんならばご存知だろう。
ただ「ムラサキパーク」という名称が使われるようになったのは2013年からであり、それ以前はMap’s Tokyoと呼ばれていたことを知っている人間となると数は少なくなるだろう。さらに経営母体がムラサキスポーツへと変わったところまで遡るとなると、2009年まで時を戻すことになる。
そこを境に、スケートボードのコンテストがいくつも開催されるようになり、シーンに欠かせない場所へと成長していったので、当時国内最大手の専門誌、トランスワールドにいた自分も現場に足を運ぶようになったわけだ。
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