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ギリギリ助かった命「好きなことを思い切りやる」



盗難、テロ、大震災。鬼崎さんが経験した人生のピンチは、誰もが乗り越えられるものではないだろう。単に「不運な男」として片付けられないのは、鬼崎さんが同じ数だけの逆転劇を演じてきたからだ。

熊本地震の後、貯金と仕事がなくなるとふたたび東京に向かい、飛び込みで仕事を見つけた。場所は、六本木にオープンしたばかりの高級中華レストラン「虎峰」だ。

料理の腕のみならず、プロデュース能力も認められた鬼崎さんは、新店舗の立ち上げを任され、取締役にも就任。3年後の2020年には「Series」、自身も厨房に立つ中華レストラン「浮雲」を西麻布にオープンした。「Series」は半年でミシュラン一つ星を獲得、「浮雲」もたちまち予約困難店となった。

800万円を失った男は、成功の階段を一気に駆け上がったのである。鬼崎さんはとにかくタフだ。その強さはどこから来るのだろうか。



「たくさん修羅場をくぐってきた分、人よりメンタルは強いかもしれません。失敗すればするほど、失敗も怖くなくなりますし。

実は世界一周の途中で、乗り遅れた飛行機が墜落したことがあったんです。搭乗してた人はみな亡くなりました。ギリギリ助かった命なんです。それ以来、何でもやってやろう、好きなことを思い切りやろうっていう気持ちはずっとありますね」。

アメリカ移住の5カ年計画がコロナ禍によって3カ月で終了

だが、予約困難店に成長した「浮雲」を1年で閉店し、鬼崎さんはアメリカのワシントンD.Cに向かった。日本では珍しい超巨大なフードコートのオープンに向けた、メニュー開発に協力するためだ。

とはいえ、当時のアメリカはコロナが猛威を振るっていた。レストランの事業自体が思うように進まず、もともと5年間の予定だったアメリカ移住計画は、わずか3カ月で終わりを迎えた。これが4つ目のアクシデントである。

アメリカには行かず、経営が順調だった「浮雲」を手放さなければ良かった、と後悔することはなかったのだろうか。

「誰もやっていないことにチャレンジしたい性分なんですよ。もともと飽き性ですし(笑)。それに、僕を頼ってくれる人の依頼は基本的に断らないようにしているんです。その方が何が起きるか分からないし、だいたい面白いことが起きるので」。

ワシントンD.C.にある日本食レストラン「Love, Makoto」の立ち上げメンバーと共に。タイミングを見て、鬼崎さんはアメリカには戻る予定だという。

ワシントンD.C.にある日本食レストラン「Love, Makoto」の立ち上げメンバーと共に。


帰国後は広島へ移住。現在は3拠点ライフを満喫

瀬戸田港から徒歩1分にある「SOIL setoda」の1階「MINETOYA」でシェフを務める。地元の食材だけを使用したメニューを提供し、「薪中華」という新ジャンルを確立した。

現在は、瀬戸田港から徒歩1分にある「SOIL setoda」の1階「MINATOYA」でシェフを務める。地元の食材を使用したメニューを提供している。


アメリカから帰国した2022年、鬼崎さんは広島・尾道の瀬戸田に移住した。また、北海道のニセコにあるラウンジ「The Flats.」でも料理を監修。同時進行で抱えているプロジェクトは15を超えるといい、今は広島ー北海道ー東京を行き来している。

「瀬戸田に移り住んだのは、もっと生産者と近い距離にいたいと思ったからです。素材の活かし方なんかも直接話し合えるし、フードロスについても身を持って問題点がわかるじゃないですか。

それに、訪れたことのなかった素晴らしい土地で、新しい食材や生産者さんと出会い、その魅力をレストランを通して伝える。そうして人の流れを作れれば、違う場所でもその経験とノウハウを活かせる。何もないところに新しい価値を付けることができれば、地方創生にもつながると思っています」。

今後は拠点を4つに増やし、5つの料理人チームが季節ごとに移動する働き方を目指すという。「4つの拠点を5チームで担当すると、1チームが余ります。つまり、一年の3ヶ月は休暇が取れるんです」と鬼崎さん。

今後は拠点を4つに増やし、5つの料理人チームが季節ごとに移動する働き方を目指すという。


新しい土地に行ったらスナックに行くべし!

盗難、テロ、震災、コロナ禍という大きなアクシデントに立て続けに見舞われたわけだが、そのたびに鬼崎さんは新しい土地へと誘われてきた。

移動型の人生約10年、新しい土地に溶け込んできた秘訣は何かあるのだろうか。



「基本、僕は事前に情報を調べすぎないようにしています。調べる場合でも極力ネットは使わない、何でも人に聞く。そうすると、本やネットには載っていない、その人しか知らない面白い情報を教えてくれるし、関係性が生まれます」。

そして、地元の情報源として鬼崎さんが特に頼りにしているのが「スナック」だという。

「スナックや酒場は、いちばんローカルかつディープな情報が集まるんですよ。特にお店のママが魅力的な人だと、だいたい地元の面白いお客さんが集まっている。ママづてに人を紹介してもらうことはよくあるし、それが仕事につながることもあります。スナックはおすすめですよ」。


疲労を感じさせない笑顔で「忙しいけど、めちゃくちゃ楽しいですよ」と鬼崎さん。37歳という若さで、失敗と成功を繰り返してきた人のメンタルは強靭だ。

最終的な夢は?と聞くと「宇宙でレストランをやりたいですね」と想像を超える答えが返ってきた。「人に笑われる夢ですけど」と照れるが、鬼崎さんなら実現してくれるに違いない。

鬼崎翔大=写真提供 ぎぎまき=取材・文

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