当記事は「星野リゾート」の提供記事です。元記事はこちら。 星野リゾート代表・星野佳路がゲストを招いて話を聞く対談シリーズ。今回はねぶた師史上初の女性ねぶた師北村麻子さんと対談の最終回。
1回目から読む2回目から読む 旅から得られるインスピレーション
星野 日本画家の巨匠で堀文子さんという方がいて、軽井沢にあるアトリエによくお邪魔したんですが、彼女は旅に出ると作風が変わるんですよ。旅先でインスピレーションを受けているんでしょうね。だから北村さんも、守るべき伝統はあると思うんだけれど、旅をすると進化の方向が変わるかもしれないですよ。
北村 その堀先生は、現地で絵を描かれるんですか。
星野 そうですね。下絵は現地で描いていました。
北村 いつもと違う土地の空気の中で絵を描くと、きっと全然違うんでしょうね。
日本画家とねぶた師、「旅先でインスピレーションを得るもの」にも共通点が……?
星野 北村さんが旅をすると、ねぶたがどう変わるのかというのはすごく興味があります。堀先生は、イタリアのトスカーナに行ったときにそこの草花が気に入って、現地の農家の家の納屋をアトリエに変えていました。
北村 私もすごくガーデニングが好きで、作品をつくるときも、草花からインスピレーションを受けることが多いです。
星野 なるほど、そうなんですね。草花の特にどういうところにインスピレーションを受けるんですか?
北村 色ですね。草花のグラデーションって、何ともいえない色合いじゃないですか。自分の心を動かされたものって、作品にも影響するんです。
館内の「じゃわめぐ広場」と「のれそれ食堂」をつなぐ通路にて。ここを彩る灯籠は、季節によって変わる
星野 人工物よりも、自然なものの方がインスピレーションを受けやすいですか。
北村 そうですね。やっぱり自然から生み出される色彩とか、かたちって、人間には生み出せない素晴らしさがあると思うので。
「ねぶたを中心に1年があり、人生そのものになっている」
星野 コロナ禍でねぶた祭が中止になった年がありましたね。ねぶた師のみなさんはどういう気持ちだったんでしょうか?
北村 戦時中に一度だけねぶた祭が中止になったという話は聞いたことがあったんですが、まさかこういうかたちで中止になるなんて想像もしていなかったですし、すごくショックでした。小さいときからずっと生活の中にねぶたがあったので、それが奪われてしまって、1か月くらいは家事も手につかなくなりましたね。
星野 ねぶたが開催されなかったのが2020年で、2021年はテレビ中継でやったんだよね。だけど、今振り返ると、どうですか。そのおかげで、ゆっくり構想を練ることができたとか。
北村 実はそうなんですよ。それまで毎年、作品づくりに追われていたんですが、一度立ち止まったことによって新しいアイデアを考えたり、技術を磨くための勉強ができたりして、私にとってはすごく大事な期間でした。
星野 1年間のブランクがあったわけですが、制作に追われることから脱却して、2021年のテレビ中継のとき1位になったんですもんね。すごいですよね。観光もそうですけど、コロナ禍って意外と進化するチャンスにもなりえたんですよね。止まってしまったことを生かさない人もいれば、生かす人もいる。
コロナ禍でテレビ中継とライブ配信のみとなった、2021年の作品「雷公と電母」。この年限定の賞である「金賞」を受賞した
北村 進化するチャンスだったというのは確実にありますね。今まで父から教わったやり方しか知らなかったんですが、お休みしたときに自分のオリジナルの方法を完成させたんですよ。骨組みのやり方ひとつで、顔の表情って全然変わるんです。
星野 「コロナ進化」って私は呼んでいるんですけどね。私たちの会社でもそういうことがありますから。1年間も休みがあるなんて、この先もう一生ないかもしれないですもんね。ねぶた師さんは1年だけ休むみたいなことはあるんですか。
北村 ねぶた師が1年休むってことはないですね。一度やめてしまうと、もう仕事がこなくなります。
星野 厳しい世界。横綱みたいじゃないですか。
北村 ねぶたは自分の人生そのものになっていますね。小さい頃からずっとそばにあったものだし、ねぶたを中心に1年が回っていますし。そのときの自分の状況が作風に現れると思うので、自分を映す鏡だとも思います。
コロナ禍により一度立ち止まったことが、ねぶたと向き合う良い機会になったという北村さん
星野 これからも、ねぶた師としてずっと続けていこうと思っているわけですね。
北村 もちろんです。
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