ねぶたを海外へ輸出!?アートとしての進化も
星野 今後どういったねぶた師になっていきたいですか。
北村 ねぶた師を続ける限りは、一番を目指して制作していきたいですし、後継者も育成していかないといけません。あとは、海外に進出してみたいという気持ちもあります。
星野 それは素晴らしい。北村さんにぜひ海外に行ってほしい。そういう動きってあるんですか?
北村 これまでにも、ねぶたを海外に持っていくということはあったんですが、そんなに頻繁ではありませんでした。コロナ禍も挟んでいたので、私たち中堅ねぶた師は海外に行ったことがほとんどなくて、だからこそ、これから海外にも進出していけたらと思っています。
星野 そういうきっかけをどんどんつくっていかないとですよね。後継者の育成もしていかなきゃいけないわけですし。若い方も結構いらっしゃるんですか。
北村 そうですね、高校生もいます。他の伝統工芸などでは、後継者不足だという話を耳にするんですけれど。ねぶた師に関しては、志す人は結構多いのかなと思います。
星野 北村さんに対しての長期的な期待をひとつ言ってもいいですか?
北村 はい、なんでしょうか。
星野 ねぶたはアートとしての完成度がすごく高くなってきていると思うんですよね。だから、アートとして世界に出していく。これは伝統とかの観点でいうと抵抗があるかもしれないんですが、ねぶた師さんの技術と感性を芸術に生かしていってほしいんです。
北村 アートの話でいうと、2022年に「松屋銀座」のクリスマスディスプレイを担当させていただいたんですが、普段のねぶたでは用いないモチーフを制作して、とても新鮮でした。ねぶたって荒々しいので、女性のファンがつきにくかったんです。でも、サンタやシロクマのようなモチーフに落とし込んだときに、あたたかさとかわいらしさが意外とマッチして、女性にも受け入れられたんですよね。
グラフィックデザイナーの佐藤卓さんが描くクリスマスの世界を、ねぶたの手法で制作した
星野 それはいいですね。外国人の方たちが考える、いわゆる日本らしさって、京都のようなイメージがあると思うんです。でも、京都にはなくて、これだけインパクトのあるねぶたを輸出していくことで、これまで世界が知っていたのとは違う日本を発信していくということができる。
北村 きっと、青森を世界に発信することにも繋がりますね。
星野 私の中では、この先例えば30年続けているうちに、どこかのタイミングで「世界の北村」になるイメージなんですよ。そういうときがくればすごいなと思います。例えば、ニューヨークに引っ越してアーティストとしてねぶたづくりをやっていく。
北村 ふふふ。そうですね、いろんな可能性があっていいと思います。
「みちのく祭りや」の入り口にて
星野 ぜひニューヨークのアーティストになるぐらいの気持ちで、考えてもらえたら。そしたら、ニューヨークにホテルつくっちゃおうかな。「ねぶたホテル」。
北村 いいですね。ねぶたって他にはないあたたかさがあると思うんですよ。ねぶたをきっかけに、日本や青森に興味を持ってもらえるといいですよね。
星野 世界から見ても、これだけインパクトがあるねぶたってすごいと思いますから。「世界の北村」になってもらえるよう応援しています。
北村麻子
1982年10月生まれ、ねぶた師史上初の女性ねぶた師。父親であり、数々の功績を残すねぶた師の第一人者である六代目ねぶた名人の北村隆に師事。2007年、父親の制作した大型ねぶた「聖人聖徳太子(ねぶた大賞受賞)」に感銘を受け、ねぶた師を志す。2012年、青森市民ねぶた実行委員会から依頼されデビュー。そのデビュー作「琢鹿(たくろく)の戦い」が優秀制作者賞を受賞したことで注目される。